『フォレスト・ガンプ /一期一会』を観て主人公と自分を比較してしまった
フォレストガンプを観た
今まで流され、考えすぎてきた自分と主人公・フォレストガンプの半生を比較しながら観ていた。
『フォレストガンプ 一期一会』は、実際のアメリカの歴史の中で、主人公とその周りの人がどんな人生を送ったのかが描かれている映画だと思う。実際のアメリカ史を踏まえているので、実在した有名人も出てくる。
フォレストは、幼いころから知能指数が低く、深く考えないようなかんじで、女手一つで育ててくれた母親の教えを守りながら生きていた。フォレストは運を味方につけて、ラッキーな部分があるが、ラッキーと流れに身を任せながらもその場その場で、母親の教えを守りながら楽しく真面目に生きている。たまに落ち込む。
フォレストは人に恵まれたと思う。母親、出会った人。さらにフォレスト自身も人に対して誠実。生き方としては、学ばなければいけないなと思う。フォレストには将来どうしたいとか、先々への不安が無いように思う。一方で自分は不安を抱えながら生きてきた。フォレストはやっている最中に「これって意味あるの」のとか、「自分から辞めてやる」と思わない。いる場所の中で言われたことをこなして、認められて、いつのまにか極めているの繰り返し。一方自分は考えすぎて中途半端に終わったことも多くあった。映画を見ていてフォレストには「海賊王になる」的な大きな目的を持って生きていない。運やスカウト、友情や義理で動いていると思った。流されているけど、嫌なことは嫌だというし、自分に合っていることは「自分の性に合っている」「人生で一番幸せな時間だった」と判断している。そういうのを軸というのかもしれない。
自分も含めて、物事に目的を求めがちだけど、フォレストは能動的に動いたときでさえ、そこに深い意味があるわけじゃなく、そうしたいからそうしてきた。すごく感情的だ。メンタル系の本では、理性ではなく、感情的に動くことが推奨されている。フォレストの生き方はまさに感情的。感情で動いた人間の周りに人が集まってくるし、意義なんて最初から持っているものでなく後付けなのかなと思ったりする。僕も高校の時テストが死ぬほど嫌いだったけど、ルーズリーフにテスト点数をグラフでまとめる遊びをしてなんとかつまらないテストに楽しみを作っていた。最初は自分のだけを作っていたけど、テストの度に周りのクラスメートも巻き込んでいた。これも最初は自分がそうしたいからやっただけだったけど、人が集まり、テストの楽しみの一つをつくれたと思う。
フォレストは、どの場所にいてもフォレストのままで変わらない。表面上は優しく誠実な人だけど、それも強さなのだと思う。この映画を見て、今の自分や周りの人を大切にしなきゃなと思ったのと、「自分の人生は自分で切り開く!」と鼻息荒くかじ取りするだけでなく、偶然の出会いを大切にして、時代や環境に流されるくらいの気持ちでももいいのかなと思った。
罪悪感なく断るために、自分の用事を持っておく
仕事関係や友人からの誘い。誘ってくれたことを思うと断りにくいです。たぶん断れる人には当たり前のことだけど、自分にとっては友人の誘いでさえ断ることに躊躇して、自分の時間よりも誘いを優先していました。
最近は改善傾向にあると思います。
■断るときは、具体的な理由を言う
断るときはちゃんと理由を言う。誘ってくれた人に納得してもらうため。
ごめん無理より
ごめん仕事が終わらないから無理
と言ってもらえれば相手も納得しやすいし、不快度は最小限だと思います。
断るときは、相手を不快にさせないことを心がけます。
■物理的な用事を持つ
誘いがある時間に別の用事があると断りやすい。本当に外せないから。
でも誘いを受けるかどうか悩むとき、だいたい自分に用事はない。そして用事なく断ると、裏切ったような罪悪感が残ることがある。
ただこのときの用事ってだいたい仕事や家族関係などオフィシャル?な事情を考えている。
だけど、用事って寝るとか、映画観るとかもっと私的でもいいのではないかと思います。自分の時間だし、断る理由として充分。
友人が今の職場はブラックだけどやりたいこともないから辞めないという話をしていて、やりたいという動機を持つことは大事だと思いました。
誘いを断るときも、やりたいことがあると断りやすいです。
■断ることは拒絶じゃない
自分が断らないと、相手に断られることを怖がります。自分は断る=拒絶だと思っているから、自分の誘いを断られることを拒絶だと思っちゃいます。
自分が断るようになると相手も気分が乗らなかったのかな。やりたい用事が別にあるのかなとポジティブな想像ができるようになります。想像なので真実とは違いますが、同じ想像ならポジティブな方に考えたいです。
そして、断っても人は離れませんでした。毎度誘ってくれます。
■日程を調整する権利や断る権利は持っている。
日程を調整する権利や断る権利を持っていると考えます。
断り慣れていないと、断りの連絡の後、断ってしまった。申し訳ないことをしたとかなり落ち込む。
こればかりは慣れだと思って、続けていくしかない。これぐらいしんどいなら断らないほうがいいと思うかもしれないけど、必要な痛みだと思う。長年続けていたことを変えるのは傷つく。
もし答えを急かしているようなら、その相手が焦っているか、もともと自己中心的なのか、どちらにしろ自分のことは考慮に入っていない。そんな相手の誘いに乗るとたぶん傷つく。誘いに乗った時点で自分の気持ちに嘘ついているから。
■誘いを断る=自分で判断したということ
断るということは、自分で判断したということ、何も考えず誘いに乗ることは、判断していないということ。自分で判断してその結果を得るというのはもしくは責任を持つというのは自分を信じる根拠になるんじゃないかと思う。なぜその判断をしたのか自分しか知らないから。
■最後に
書いてみたけど、断ることに躊躇して流されることもあります。たまには流されるのもいいけど、自分の判断っていうものを増やしていきたいです。
10年間悩んだ人見知りを半年で克服していた
友だちにさえ人見知りを発揮していたけど、いつのまにか、人見知りではなくなっていました。
あくまで主観ですが、緊張はするけど、苦になるほどではない感じです。
期間でいうと、小学生ぐらいから1年ぐらい前なので10年ぐらい人見知りでした。親戚で集まると、赤ちゃんの頃祖父を見ると毎回泣いていたと聞くので、生まれつきかもしれないです。
克服には1年もかかりませんでした。それは克服方法もシンプルだったからです。
■自分は人見知りじゃないと思い込む
僕の場合は、自分が人見知りだと思い込みすぎていたことが原因でした。じゃあ逆に人見知りだと思わなければいいかと思って試していました。
人見知りと思わないこと。かなり抽象的ですが、効果があるのはこれかなと思います。
人見知りはすぐに治るものではなく、経験によって自信をつけていくものもう大丈夫だと自覚することで、人と接することに抵抗がなくなりました。
とはいっても、長年自分を縛っていた思考の癖はなかなか抜けず、ちょっと気を抜くと、自分は人見知りなんだと思っちゃっていました。
特に話がうまく伝わらないときだったり、噛んでしまったときは、落ち込んで、元の思考の癖に戻りがちでした。
そこで、自分の話すことへの理想像を下げることにしました。落ち込むのは理想と現実のギャップが原因だと思ったからです。
会話の理想を上手く流暢に伝えるから、とにかく伝わればいいに変更しました。
会話の途中で噛むことや、話が長くなることは今は小さい問題で、とにかく伝わればいいやと思って話していました。
これで上手く行ったのか会話のハードルが下がって、人見知りだと思うことが少なくなって、今は自分は人見知りじゃないという感覚の方が強くなってきたように思います。
そして、伝える姿勢が相手にも伝わってなのか、流暢じゃなくても、丁寧に伝えようとする姿勢を評価してもらったりもしました。
流暢に話すことよりも、伝えてもらうほうが、相手にとって重要で、伝えようとする姿勢が評価されることもあります。
■伝えないことの方が迷惑
人見知りそれ自体よりも、人見知りであることによって、コミュニケーションにおいて、自分にも、話し相手にも不都合を与えてます。
人見知りと言いつつも、友人はいるし、話せてもいました。だけど今思えばコミュニケーションコストが高かったなと思います。
人見知りでも、なんとなくコミュニケーションが成立しているのは、話し相手のおかげだと考えました。
なぜなら、多くの人には使わなくていい労力を使わないとスムーズに会話できない状態だからです。
すごく気を遣わせていたなと思う。友達同士だったとしても気が引けます。
そして、自分が人見知りだと思うならまだいいけど、人見知りを自称するのは、相手に気を使ってということで、失礼でもあるなと思いました。
そう思ったのは、星野源さんの発言がきっかけです。
星野源 相手に自分のことを「人見知り」というのをやめた理由 – grape [グレイプ]
人見知りであることによって、迷惑な存在だったということを反省しました。
人見知り自体は恥ずかしくない。本当に恥ずかしいのは、相手に自分を引き出してもらって当たり前だと思ってしまうことだと思いました。
そして、自分がしないことで迷惑をかける可能性について認識しました。
人見知りと思っていた自分に伝えたいのはこれ。
人見知りであることはしょうがないけど、せめて伝える努力をする。
伝えるといっても、単語の解釈すら人によって異なるし、なんとなくで使っているので、自分の思っていることを完璧に伝える必要すら、日常会話レベルならないです。
そう考えて噛もうが、どもろうが無視して、そのまま話しをつづけることにしてました。そしたら、いつのまにか気にならなくなって、恥ずかしさも消えてました。
学生のときは、噛んだり、どもったりするとそれだけで笑われたりするけど、大人になってバラエティでもないのに、噛んだ人を笑うような人は少ないはずなので、伝えることを意識しました。
人見知りで、人と話すとき緊張しますが、伝えたいことを伝えようとすることで、いつのまにか自信がつきました。
30歳で自分は終わる
現在25歳の自分の20代前半を振り返ったとき、自分の人生を30歳で終わってしまうのではと思うくらい、慌てていたなと思う。
振り返ってと書いたけど、今も変わらず30歳までしか時間がないような感覚で生きている気がする。
歴史上の偉人の中には、30歳前後で他界した人がいる。彼らは人生を熱意高く生き、自分の理想を追いかけていたからこそ、短い人生だけども後世まで、語り継がれるインパクトを残している。
一方で、自分はどうかというと、一心不乱さは近いかもしれないけど、自分の熱意で動いていたかというとそうでもない。危機感からくる何か追われるような感覚から逃げるために、必死に動いていた。
別に何か目標があったわけじゃないけど高いところを目指さないと潰される感覚と、動かないことで損するという不安が強かった。たぶん安心したいんだと思う。
昔とある人から「生き急いでいる」と言われたことがある。初対面の方だったけど、自分のこと的確に言われているなと感じた。
その人の人を見る目が凄いのか、誰が見てもそうだったのかわからないけど、客観的に見ると、変にギラついていたんじゃないだろうか。
そうだった自分を反省する。
なぜそんなに生き急いでいたのかと考えると、やはり危機感からだと思う。こうじゃないとダメ、後々しんどくなるなるという不安感から、必死に勉強をして、仕事をしていた。
そして自分の中で後々というのが30歳。特に根拠はないけれど、感覚として強い。
でももし、自分が感じている不安を30歳で完全に拭い去ったとしても、30歳以降やりたいことは今のところないし、なかった。
だからもし30歳で不安から逃げられたとしても、先には何もなくて燃え尽きていると思う。
人生100年時代と言われているけど、自分は、100年を30年に短縮しようとしてしまっているんじゃないだろうか。それぐらい頭の中の理想がスピーディーすぎる。
そんなペースだったら、精神が30代で終わる。
人生は短いというけれど、僕程度の感覚の人なら、もう少し長い。だから、毎日危機感からくる義務感だけで動く必要はない。もうちょっと自分にとって楽しいことも取り入れようと思う。
義務を果たすことも大事だけど、自分の持っている権利を使うことも大事なんじゃないのか。
自分にやっていいことはまだたくさんあると思うと、人生もうちょっと先にやりたいことって見つかる気がする。
現在と過去の自分の感覚を言葉にしてみた。どこに進んでいるのかわからないけど、とりあえず不安を消せそうなところを目指していた。
でもそこに向かって30歳で到達しても、そのあとが何もない。だから自分は30歳で終わる。楽しさを見出せないから。
30歳以降も自分を続けていけるように、楽しいなと思うことを見出していきたい。
追いかけられるのではなく、追うような人生にすれば、自分は30歳で終わらないのではないか。
実家暮らしでも、1人になりたい
お金を節約するために、仕事をしていても、実家にいる人は増えているみたいです。昔よりも収入が減っている時代なので、選択としてありだと思います。
一方で、実家暮らしをしているということは、価値観の違う大人が複数いるという状態を続けるということです。
お互いに過度な干渉をしない家族だったとしても、複数の人が存在するだけで多少ストレスがかかります。
その中でさらに、1人好きの人にとっては、お金の問題があるので実家から出れないけど、1人の時間を多くとりたいという欲が出てきているのではないでしょうか。
この記事では、実家にいながら、1人になるために僕自身がやっていることを書きました。
実家暮らしでも、1人になることはできます。
■実家暮らしでも、1人になりたい
実家にいるメリットはわかっているけど、1人になりたいのも事実です。学生の時は、無意識でしたが、今は、1人の空間が欲しいと思うようになりました。
職場や学校で、1人になれる時間はなく、家に帰っても親や兄弟がいます。
自分の部屋がある場合は、部屋に入らないようにしてもらえば、いいのです。でも間取り上一人になることが不可能な場合や、兄弟が多く1人部屋がない人もいます。僕は1人部屋がない場合です。
でも1人に時間が欲しいと思います。ストレスもそうだし、1人でやりたいこともあるので、実家にいたとしても、1人になるタイミングは欲しくなります。
とはいっても、実家ならば、自分以外の誰かがいるのは当たり前だし、特に邪魔してくるわけじゃありません。
なので、自分自身で、実家暮らしでも、1人の時間をつくる工夫が必要になります。
■申し訳なさ
学生時代はともかく、社会人になってからも実家暮らししていると、親への罪悪感が湧いてきます。
罪悪感があると、親に自分のことでお願いできないこともあります。社会人になると、実家にお金を入れていたとしても、申し訳ない気持ちになります。
ただ家を運営する中で、自分も家事を担っているなら、申し訳なさを感じる必要はないです。
僕も出来る限り、炊事や洗濯に参加しています。参加することで、子供の頃、自分を育てながら、家事もこなしていた両親に感謝の気持ちを持ちました。
持つべき感情は、申し訳なさではなく、感謝です。
■ストレスが溜まる
家族といえども、一緒に生活していればストレスは溜まります。ストレスが溜まると、言葉や態度に出てしまい、喧嘩になることもあります。
親や兄弟でも、あくまで人間同士です。価値観が合わない部分がありますし、1人になりたいのに、そうさせれもらえないこともあります。
僕は、それは仕方がないことだと思いました。
自分に、欲求があるように、家族にも欲求があります。なので自分を尊重しつつ、家族のことも尊重しなければなりません。そのためには、自分で工夫していう必要があります。
■1人になれないと、しんどい
職場や学校で、1人になれなず、家でも1人になれないと、人疲れしてしまって、精神衛生上よくない人もいます。
僕は、1人の時間を多く取らないと、社会生活がしんどくて、3ヶ月ぐらい、1人になって人と接触を取らなかったこともあります。
1人になる時間が必要であるにもかかわらず、その時間が取れないということは、栄養が足りなくなっている状態に近いです。
なので、僕にとっては、食事と同様に定期的に1人の時間が必要です。
■実家暮らしで、1人になる方法
以下、実家暮らしをしながら、1人の時間を作る方法です。
●外に行く
僕は1人になりたい時、外に出かけます。
お金をかけたくない時は、マクドナルドで、Sサイズのドリンク(100円)を頼んで、本読んでいます。
これでも1人の感覚を味わえます。
家と違うのは、自分を知っている人がいないということです。干渉もされないし、気に止める人いないので、1人だなと思うことができます。
もしマクドナルドや人の多いカフェは苦手というなら、珈琲1杯500円ぐらいの喫茶店に行くと、人も少なく、落ち着いた雰囲気です。温度なども快適に設定されています。
別の場所に移動することが単純だけど、効果的な手段でした。
●ノイズキャンセルリングイヤホン
人の視線ではなく、人の声や騒音がが苦手な場合は、ノイズキャンセリングイヤホンの購入を検討してみてはどうでしょうか。
僕は、電車移動中の地下鉄の音が苦手で、ノイズキャンセルイヤホンを購入しました。結果、電車だけでなく、生活の中でも効果がありました。
カフェや飲食店でも、周りの声や音をだいぶ消してくれますし、実家にいても、音を消してくれます。
僕の購入したノイズキャンセリングイヤホンについて、「静けさを求めて、ソニー ワイヤレスノイズキャンセリングイヤホン WF-1000XM3を購入しました【使用レビュー】」をぜひ見てください。
1人になりたいけど、声や騒音になりたい場合は、ノイズキャンセリングイヤホンのご購入を検討してみてください。
以上が僕自身がいいなと思った方法です。いずれもお金のかかる方法ですが、1人暮らしの家賃よりは安上がりです。
■1人になりたい気持ちを大事にする。
実家暮らしでも1人になりたい気持ちは、わがままかなと思っても、大事にしています。
そして、完全に1人にはなれないかもしれないけど、1人の時間や空間に近づけることは不可能じゃありませんでした。
実家にいても、1人の時間や空間をつくることはできます。
■実家を出たいけど、お金の不安がある
実家を出ることが1番の解決になります。とはいっても、お金の不安や実家を出る不安があると思います。
でも多くは実際に、どれくらいお金が必要なのか知らないだけかもしれません。
なのでまずは、生活に必要なのか、把握してみることにしました。
疲れやすい自分をマネジメントする
疲れを溜めやすい時代です。そしてその中でもより疲れやすさを持った人もいます。疲れやすくても、他の人と同じように仕事をして、休日も自己研鑽に当てたり、遊んだりしてしまいます。
今はキツくても、倒れないかもしれませんが、あくまでギリギリのところで踏みとどまっているだけで、改善しないといつか倒れます。
倒れると人と自分にとって損です。
でも、スピードや量を求められる時代だし、自分でもやらなきゃと思ってしまいます。どうにかしたいと思っても他人から求められるスピードや量を変えるのは難しいので、疲れやすいままになってしまいます。
なので、せめて自分自身へ求めを緩めることから始めようというのがこの記事の内容です。
効果の高いリフレッシュ方法や疲れにくくするする術は全く書いていません。書いたのは今の自分で最大限活動するにはどうすればいいかということです。
■疲れやすい人が多い
疲れを溜めているなと実感している人は、都内在住者の80%らしいです。(ウーマンウェルネス研究会資料より)。そして、同資料によると、疲れが溜まる原因は、デジタルデバイスの普及による常時仕事モードの継続にあるみたいです。常時とは、仕事終わりや休日も含めてということです。
おそらく休日や平日の仕事のない時間も、他者の交流やSNS、自己研鑽などを仕事と同クオリティーで行っているために、疲れが取れない状況が続いてしまっているのではないでしょうか。でもそれだと、休日に仕事をしているのと同じです。
また、現代人の疲れやすさの原因は、脳疲労であると同資料にも記載があります。スマホやパソコンの普及で、いつでもどこでも他者や情報と繋がれることで、脳の休日はほぼ0になっています。
そのため、脳疲労を改善する上で、スマホやパソコンとどう付き合うのかも考えないといけません。
仕事が多さにプラスして、自己研鑽にあてる時間の多さ、デジタルデバイスの普及による便利さが、疲れやすさを引き起こしています。
■好きなことをしても疲れきってしまう
日々の仕事だけでなく、楽しいことをしているはずなのに、疲れてしまうこともあります。もちろん楽しいことでも行動すれば疲れるので当たり前ですが、疲れやすい人にとっては、楽しみが減るという大問題です。
好きなことをしても、疲れるのは本当はそこまで好きじゃないか、好きでも自分にあっていないことが考えられます。
歌うことが好きでも、歌が下手な場合と似ているかと思います。好きと得意は違うのかもしれないです。
それ以外だと大体は人のニーズを満たすことを自分の好きなことと定義して実行している場合です。あくまで人のニーズなので、疲れます。仕事と同じです。
好きなことをしていても、普通に疲れますし、体質的に、自分にとって、より疲れやすいことが好きなことになっていると、しんどくはなります。
■疲れを残さないメリット
そもそも疲れを残さないことにメリットがあるのか。損得を考えたときに疲れても得られる利益が多いのなら、そちらを取るでしょう。なので、メリットがないと変える気になりません。
そこでメリットを考えるとまず健全な状態で仕事や他者との交流ができることが挙げられます。そして健全な状態で活動することで、それぞれの質も上がります。
また疲労を溜めずにいれば、心に余裕ができるので、疲労によって起こる攻撃性も抑えられます。
なのでメリットは、趣味、仕事、他者との交流というライフイベントをより良い形で行えることです。
疲労を蓄積しないということは、人生レベルで大事なことです。
■疲れやすい自分をマネジメントする
厳しい言い方をすれば、疲れやすいのに、疲れを放置することは、自己管理ができていないということです。お金がないのに、お金を使ってしまう人と一緒です。
逆に言えば、ちゃんと管理すれば、疲れを溜めずに生活していけます。
僕個人が疲れを感じやすいので実践していることは、自分のキャパ以上の行動をしないこと。疲れにくくすることを考えがちですが、そんな都合の良いことはなく、慣れるまで時間がかかったり、生活習慣自体を変える必要があり、めんどくさいです。
仕事は、休日休んで元に戻るぐらいの力でやるし、休日遊ぶ時も自分の体調と相談して、内容を決めています。
疲れを溜めないことは、お金を使いすぎないことに似ています。自分のお金は収入と支出で決まり、支出が収入を上回ると赤字になります。そして、赤字が続くと破産します。
疲れも同じで、疲れと回復のバランスを保てないと、破産と同じで自分を維持できなくなり、ぐったりします。
なので、お金と同様に、疲れも収支計算する意識で、生活しています。
■ペースを落とす
自分が人より疲れることをするというのは、費用対効果が悪いとも言えます。ただ、自分にとって楽しかったり、必要だったら費用対効果が悪くてもやりたくなってしまうものです。
なので費用対効果が悪くても、実行したい場合、ペースを落とすという戦略をとります。例えば、週1でやっていたことを、2週に1回のしてみたり、旅行→仕事ではなく、旅行→完全オフ→仕事にしてみるなどです。
疲れが溜まりすぎることなら、回復期間を計算に入れて、実行回数を減らすことで、疲れが溜まることを防げます。
ただ、問題は、回数が減ることで、楽しみが減ったり、機会を損失します。
●童話『ウサギとカメ』
多くの方が『ウサギとカメ』を知っているのではないでしょうか。ウサギとカメが競争をして、ウサギが圧倒的で過信して休憩してしまい、遅いながらも歩みを止めなかったカメに先を越されてしまうという話です。
この童話で過信(自信過剰)して思い上がり油断をすると物事を逃してしまう。 また、能力が弱く、歩みが遅くとも、脇道にそれず、着実に真っ直ぐ進むことで、最終的に大きな成果を得ることができることを教訓としています。(Wikipediaより)
あくまで童話なので、現実に当てはめるとうまくいかないこともありますが、疲れやすい人はカメのように生きる覚悟が必要ではないでしょうか。
もちろんウサギのような人に憧れますし、求められたりもします。でもウサギみたいな人に憧れて適応障害になった僕は、カメのように生きてみて、疲れを残さず毎日を過ごし、余裕があったら自己研鑽に費やすぐらいのペースがあっています。
童話では、ウサギはかませキャラですが、完全な悪ではなく、良い面もあるので、自分にあった方法を取ることが1番です。
余談ですが、負けたウサギは後に狼を撃退して名誉挽回したという続きの話もあります。
●機会損失ではないか
人との交流や自己研鑽のペースを下げることは、機会損失かもしれません。。確かに短いスパンで見ると、量的には減っていると思います。
しかも、『ウサギとカメ』の童話でいうウサギみたいな速さで進み、そのまま止まらずに進める人もいるので、差を感じてしまうかもしれません。でもそんな人は超レアです。
そして、長いスパンで考えた時、結局、継続できていたほうが、より多くの機会に恵まれます。また、質的に考えた時も、健全な状態で臨むことができれば、交流や自己研鑽の密度は高まります。
学校のテスト勉強の内容はもう覚えていないけど、趣味として続けてきたことは、昔のことでも覚えていることが多いのではないでしょうか。
■今やりたいことをする
疲れ切ってしまう人をさらに追い込む行為として、将来のために何かすることです。仕事をしつつ、休日は自己投資に使うことが当たり前みたいになっているのではないでしょうか。
もちろん自己投資をする休日もあっていいと思いますけど、たまには将来のことを考えず、現在自分がしたいことをやってみる日を作ると、いいのではないでしょうか。
趣味でもいいし、寝るでもいいわけです。とにかく自分の直近の欲を満たすことが実は一番のリフレッシュ方法だったりします。
趣味を見つけられないという方は、以下の記事をぜひ見てください。無趣味から趣味が増やした方法について書いています。
■疲れやすい自分をマネジメントして、楽しく過ごす。
情報を得やすくなった現代は、危機感を覚える機会が増えた時代でもあります。だからこそ今の自分から脱するために頑張らないという気持ちになりやすい時代です。
この時代の中で、疲れやすい人は不利なように思います。それでも欠点と思わず、欠点を補おうとしないほうがいいです。
『ウサギとカメ』の話はあくまで、創作です。でも、カメの歩み方からから学ぶことは多いです。僕は、残念ながらウサギになれないので、カメを見本に生きてみます。
迷惑かけてもいいやと思うことにした。
「人に迷惑をかけるな」と教育される人は多いと思います。僕もそう教わってきましたし、大人に近づくにつれて、自分で自分を律するようになりました。
人に迷惑をかけないでいれば、自分は不幸にならないと思っていました。
でも、人に迷惑をかけないで生きてきても、幸せにはなれず、むしろ自分を縛りすぎて、生きづらかったです。
なので最近は、「迷惑をかけてもいいや」と思うことにしています。このマインドになってから、社会で生きていくことや人とのコミュニケーションが楽になりました。
■それって本当に迷惑か
なぜ迷惑をかけてもいいと思うのか。それは人に迷惑をかけちゃダメと思う人が迷惑は、実際は迷惑ではないからです。
自分は迷惑かなと思って頼んだつもりが、あっさり快諾される経験はないでしょうか。
自分が思っているより、迷惑の基準は低いです。
●基準を知る機会がなかった
そこで問題になるのが、なぜ基準を知らなかったのかと言うことです。他の人は知っているのに、自分だけ高い基準のまま生きているのはなぜなのか。
おそらく、実際に体験していないからではないでしょうか。小さい頃から、自分で決めた高い基準を守っているので、実際に迷惑となる基準を知る機会に恵まれなかった可能性があるます。
そして知る機械がないからこそ、大人に教えてもらい、自分の想像で補っていた狭い範囲が、迷惑の基準になっているんです。
なので自分の基準を平気で超えてくる人には驚きます。
自分が迷惑だなと思っていた、人の家に泊まることは、人によるけど、全然OKだった時はびっくりしました。
自分が思っているより、迷惑をかけるって、もっと悪質なのかもしれません。
図にすると以下のようになります。
■迷惑をかけないと生きづらい
人に迷惑をかけないように生きていると、どうしても言動を押さえなければならなくなります。なぜなら、自分を制御しているからです。
生活していると気づきにくいですが、僕たちの行動は、法律で制御されています。それと同じで、「これはダメ」と自分にルールを課しているんです。
もしこれが、1人の他人に対してなら問題ないです。でも今まで我慢した人は、社会や大勢に迷惑がかからないように意識しているのではないでしょうか。
この言動は親に迷惑をかけないけど、大勢には受け入れられないからボツ。大勢には受け入れられるけど、Aさんに迷惑をかけるからダメと、どんどん自分の行動範囲を狭めてしまいます。
■何かすれば、誰かに迷惑がかかる
迷惑をかけないようにしていたとしても、結局誰かには迷惑をかけます。どんなに気をつけていてもです。
なぜならどんなに、幅広い人に気を使っても、全員を網羅することは不可能に近いからです。
生きているとどんなに気をつけたとしても、人に迷惑をかけていると思います。人に迷惑をかけるなと言ってきた両親や先生も、僕や別の誰かに迷惑をかけています。
迷惑をかけるなとは無理な話です。
人が動けば、何かしらの形で、誰かに迷惑がかかります。
■迷惑をかけることを自覚しなさい
人に迷惑をかけるなという言葉を両親や学校の先生から何度も言われてきたと思います。
僕も、小さい頃から周りの大人に言われていましたし、中学校くらいからは自分で「人に迷惑をかけてはいけない」と理性を働かせていました。人に迷惑をかけなければ、嫌がられることも少なくなり、人間関係を円滑に進めることができるからと考えていたからです。
でも、迷惑をかけなかったからって、人間関係が円滑に進むことはありませんでした。むしろ自己主張ができず、人に押し付けれらることが多かったです。
ただ、「人に迷惑をかけてはいけません」は絶対のルールではなく、あくまで日本の中だけの教育方針でしかないのかもしれません。
全世界のことはわかりませんが、インドでは迷惑をかけることについて、「人に迷惑をかけることを自覚しなさい」という教育をするらしいです。
インドの教育を知ったとき、より本質を捉えているのはインドだなと思いました。
生きていれば、人に迷惑をかけることは当たり前で、そのことを自覚して行動することが大事なのかもしれません。
■迷惑をかけてもいいと思った後のメリット
人に迷惑をかけるということは、当然損もします。なので得をしたなと思ったことを書いてみます。
●自分に素直になりやすい
迷惑をかけないようにするということは、自分の言動に制限をかけているということです。自分の行動に制限をかけているということは、自分の気持ちに嘘をつくことになります。この制限が、生きづらさを生み出しているのではないでしょうか。
人や社会に禁止される生きづらさもあれば、自分で禁止をしている場合もあります。僕がまさにこのタイプです。
自分の気持ちに気づくという意味でも、迷惑をかけてもいいやと考えることにしました。
●人に優しくなれる
「迷惑をかけてはいけない」状態だと、自分の基準外で、迷惑をかける人を許せないときがあります。
でも自分が迷惑をかけてもいいと考えられれば、他の人も自分に迷惑をかけることも当然だと考えられるので、人を許せる範囲も広がります。
飲食店でバイトしたことある人は、店員さんのミスに優しくなれるのと似ています。
●責任感が出る
人に迷惑をかけないように生きていると、自分の選択のはずなのに、親に迷惑をかけない選択という、条件がつき、自分の選択のから離れます。
それでも、自分で選択できる人もいますが、どこか納得できず選択して、モヤモヤを抱えながら生きていきます。
だけど、迷惑をかけてもいいやと思うと、自分だけの選択になり、選択したことを自分ごとに捉えることになり、責任感が出ます。
■迷惑の基準を変える
「迷惑かけてもいいや」と思うには、長年の積み重ねで築いてきた迷惑の基準を変えていく必要があります。基準を緩くしていくことで、許容範囲が広げていきます。
その手段として、効果と即効性として有効なのは経験をすることです。
シンプルですが、自分が迷惑かなと思うことをあえてやってみましょう。
僕の場合は、奢ってもらうことを迷惑だと思ったので、友達に奢ってと言ってみました。友達は余裕で快諾してくれました。
経験をすると、自分が迷惑と思っただけで、大したことないとわかります。
もちろん、外すこともあるけど、明らかに怒らせるほど境界を飛び越えなければ、ちゃんと謝られば、修復可能な範囲でした。
何より自分が思っているより、人の許容範囲は広いです。
それでも、いきなり自分が悪いなって思うことを、他人にやるのは勇気がいることです。なので多少ミスっても大丈夫な家族や友人を相手に実践するとハードルが下がるかと思います。
■思い込みを外すと生きやすくなる
人に迷惑をかけてはいけないという思い込みから、外れると生きやすくなる理由は、言動の選択肢が広がるからです。
今までの不必要な制限から自由になれるため、生きやすさを感じることが出来ます。
■人に迷惑をかけてもいいと思ってから、生きるのが楽になった
全ての人に迷惑をかけないように、他人に気を使うことは疲れます。でも、迷惑をかけないようにしても、結局誰かしらに迷惑をかけるし、メンタル的にも損でした。
もう少し気楽に、最悪迷惑かけちゃうかもぐらいの意識で言ったほうが、人と接しやすいし、生きやすいです。
もちろん意図的に人を傷つけるのはよくないけど、自分を制御しすぎるのもよくなかったです。
ストレスサインを自分でつくる【ストレスに気づけない人】
ストレスを減らすこと、ストレス耐性が重要視されますが、そもそも自分がストレスを感じてるのかどうかわからないと、対処もできません。
小さなストレスなら、発散したり、自然回復が可能ですが、ストレスに気づけないと、抱え込んだまま大きなストレスになって、取り返しのつかないことになります。
僕は、ストレスに気づけずに、適応障害になったり、人間関係にヒビを入れたことがあります。
もう二度とそうならないために、まずはストレスに気づいて、早期対処する必要だと思いました。でもストレスを自覚することは難易度高かったです。
そこで、考えたのが、感覚ではなく、自分の目や行動でストレスのサインを探すことです。
探してみると、日常の些細なところにストレスのサインが隠れていました。
このサインに気付いてから、ストレスを限界まで抱え込むことが減りました。
■ストレスに気づけない
僕の場合、もう限界ってなるまで、ストレスを感じても気づませんでした。我慢強いとも言えるかもしれません。
でも、限界までストレスを溜めると、自分への負担も大きいし、周囲に迷惑をかけることもあります。
これは仮説ですが、子どもの頃から、我慢をしてきた人は、ストレスを限界まで感じづらいのではないでしょうか。
我慢が多かったということは、一時的に自分の感覚を麻痺させて、その場を凌いできたということだと思うからです。
そして、長年多くのことを我慢していると、麻痺している状態が当たり前になってしまい、ストレスを自覚できなくなっているのではないでしょうか。
●それでもストレスは溜まる
でも我慢強いからといって、ストレスを感じていないわけではありません。人並みか、それ以上にストレスを抱えています。
我慢強い人は小さなのストレスに気づけなくなってしまい、自分はまだ大丈夫だと錯覚して結果として、限界までストレスをため込んでしまいます。
●気づいたときには手遅れ
そして、多少のストレスに気づけない我慢してきた人は、ストレスが溜まりに溜まって、もう限界ってなったときに、行動として表れて、自分のストレスを自覚します。
ただ、自覚するときには、手遅れであることが多く、心に深い傷を負ったり、優しかった人が急に攻撃的になるなど、良くない影響を残します。
結果、人間関係にひびが入ったり、精神疾患になります。
■回復できるうちにストレスに気づく
もっとも、ストレス自体は悪者じゃないです。
楽な仕事よりも多少負荷のかかる仕事をしている人の方が寿命が長いという研究もあるくらい、適切なストレスは健康的でさえあります。
ただ、良いストレスは、自然回復することが条件です。逆に、回復不可能なら、悪いストレスだと考えられます。
適切なストレスから、悪いストレスになる前に、発散するのが1番です。
でもストレスに気づきにくい人は、かなり悪いストレスにならないと自覚できません。
なので、自分が悪いストレスを抱え始めたなということを、他の手段で見つける必要があります。
■ストレスサインを自分でつくる
では他の手段とは何か?
うつ病になってしまった人は、お風呂や食事など、普段やっていること手につかなくなるという話を聞いたことがあります。
うつとまではいかなくても、ストレスがたまったときは、無気力になりめんどくさくなります
なので、自分に悪いストレスがかかっていると起こる日常の変化を思い出してみることにしました。
●過去を分析する
まず過去、自分がストレス溜まっていたのは、いつなのかリストアップしてみました。
ストレスを抱えていたとき
・嫌な飲み会に参加したとき
・仕事が忙しいとき
・自己主張できていないとき
・テスト期間中
●共通点を見つける
リストアップできたら、この時日常に変化はなかった思い出してみました。
日常の変化
・嫌な飲み会に参加したとき
→チョコパイを箱買いして、一晩ですべて食べきる
・仕事が忙しいとき
→甘いお菓子をちょこちょこ食べる
・自己主張できていないとき
→鞄の中が散らかってくる
・テスト期間中
→机の上が散らかってくる
ざっくりこんな感じになりました。
リストアップしてみたら、日常の変化として、
・甘いものを食べる
・周辺が散らかる
ことに気づきました。
自分でいうのも恥ずかしいですが、机や鞄の中は、決まった場所に決まったものを起きたいタイプなので変化として、わかりやすいです。
なので、大量に甘いものを食べたくなったときや、机や鞄の中が散らかり始めたら、自分はストレスを抱えていると、思うことにしました。
■仕事以外で好きな何かを持つ
色々書きましたが、 できれば、ストレスは抱え込まずに、日常を楽しくしたいです。
そうなると、やはり、日常的にできる趣味を持つことが、いいのかなと思います。
でも現在趣味がない人が、新しい趣味を見つけるのって、難しいかもしれません。
以下の記事では、無趣味だった僕が、趣味を見つけるに至った理由を書いています。
■自分だけのサインを見つけて、ストレスに気づく
自分が今、どれだけストレスを抱えているのかに気づくのは難しかったです。
特に、我慢することが多い人は、その傾向にあるのではないでしょうか。
僕は、感覚としてストレスに気づけないので、物理的なサインから、自分の状態を把握するようにしました。サインに頼ってから、ストレスが限界まで溜まることは無くなりました。
負荷をかけるという意味では、ストレスも必要ですが、その日やその週で回復できるようにしたいです。
無趣味だったけど、「勢い」を大事にしたら、大人になってから趣味が増えた。
社会人になって、趣味がなくて、仕事だけしてつまらない。何か趣味を見つけなきゃと思ってもなかなか見つからない。それでも趣味は見つけらずにいました。趣味に対する考え方を少し変えました。
僕は現在25歳なんですが、24歳ぐらいまで、「趣味は?」という質問に口籠ってしまう状態でした。
休日やることがないと、また何もしない休日を過ごしてしまったと、失敗したわけでもないのに無力感に襲われていました。そして最終的に適応障害なりました。
無気力で病気になってしまうこともあるんです。
だけど、この1年で、いくつか趣味を始めることができました。
趣味を見つけてからは、よく言われますけど、充実しますし、なぜか仕事や他人との交流にも自信がつき始めました。
この記事では、無趣味を引き起こしている、興味はあるけどやってない、何にも興味が湧かないという、高いハードルがなくなって、自分の趣味は〇〇です。と言えるようになった経験を書きます。
■趣味に対するハードルが高い
現在、以下のように趣味が増えました。
現在の趣味
映画鑑賞
漫画
散歩
お菓子作り
野菜作り
最近タイムとローズマリーを育て始めました。収穫は1年後らしいけど、どんどん大きくなってるハーブを見るのは楽しいです。
多趣味とは言えないけど、無趣味な時に比べれば、だいぶ多くなりました。どれも、社会人になってからできた趣味です。もちろん趣味を持てなんて、趣味を義務化する必要ないですけど、あったほうが楽しいには事実です。
だけど、24歳までは、ただ仕事のことを考えて自分の趣味を持っていませんでした。
なぜ全く趣味を持てなかったのか、僕には以下のような理由がありました。
■本当は趣味を持っている。
無趣味を考えたとき、大きく分けると、本当にない人とあるけど本人が趣味と認識してない場合があります。
なぜ本人が認識していないかというと、趣味を過大評価しすぎているからです。例えば、オタクレベルで詳しくないといけないとか、毎日や休日はいつもやっているなど頻度や熟練度が高くないと趣味として不足していると思ってしまうなどです。
でも実は、そこまでじゃなくても自分が好きで、一回でもやったことあるならそれは立派な趣味だと思うことにしました。
この認識の入れ替えで、趣味に対する気負いがなくなって、全然詳しくないけど、趣味にしていいよねと思えるようになりました。
もし熟練度や期間でマウント取ってくる人がいたら、無視しようと思ってます。
●聞かれたとき
とはいっても、趣味はと聞かれたとき、期間や熟練度がないと、趣味を聞かれたときや、共通の趣味を持ている人と話しづらいと思います。
その時は、教えてもらう映画だったら自分は1つ観ました。オススメありますか、みたいに教えてもらうことで会話のきっかけにします。
●読書が好きなんじゃなくて作品が好き
読書や漫画が好きなんじゃなくて、特定の作品や作者が好きな場合も、「別に読書が好きなわけじゃないしな」と思いながらも、「趣味は読書です」と言ってしまいます。
■実行しないとわからない
次に本当に趣味がない場合です。本当に趣味がない状態を大きく分けると、やったけど趣味にならなかったか、まだやってないかに分けられます。
やったけど趣味にならなかった場合をさらに分類すると、自分に合わないかったか、印象が悪かったに分けられます。
合わないのはもうしょうがないので、いいです。無理して続けると、むしろ体と心に悪いです。
もしやったけど最初の印象がよくない場合は、より面白いものや良いものに触れるといいかもしれません。例えば、初めてサッカー観戦に行った試合で0ー0の引き分けだったら、正直つまらないと思ってしまいます。
これは運ですが、食事なら美味しいものなど、良いものから触れると良いきっかけになるかもしれません。
でも僕の場合、趣味を見つけられない原因の多くは、実際にやってないからです。
僕にはやりたくてもやらなかったことがたくさんあります。なぜやらなかったのか、そこに無趣味になってしまう原因があるのではないでしょうか。
■お金をかけたくない
何かを始めたいときに、躊躇させたのは、やはりお金をかけたくないという理由はありました。特に道具を揃えなければいけない系は、値段を気にしてました。
やりたいことでも、値段が貼るものは手が出にくいです。
子どもの頃、親に遠慮して、おねだりしてこなかった人は、大人になって自分で管理できるお金が増えても、我慢癖が残っているのではないでしょうか。
そこで、僕は、何事も最初は無料もしくは安価で、初めてみることにしました。簡単に言うと、代替え手段を試してみるということです。
釣りを例にすると、海釣りに行くのではなく、釣り堀に行ってみました。
自分にとってハードルの低いことで、最初の一歩を踏めたことで、釣りをしたいという思いを叶えることができました。結局釣りは好きだけど、続けなくてもいいかなと思ったので、やっていませんけど、続けなくていいと気づけたことが収穫でした。
代替え手段
カメラ→スマホで
映画→レンタルで
釣り→釣り堀で
絵を描く→家にある紙とペンだけで
結局釣りはそこまででもないですが、趣味と自覚している映画はレンタルで、100円ぐらいで借りるし、今だったら見放題サービス月1000円ちょっとで、かなり充実しています。
僕は『アベンジャーズ エンドゲーム』を観てからマーベルのファンなので、「ディズニー+」を利用しています。
また、アニメや日本のドラマや映画を見るときは「U-NEXT」を利用しています。
お金を気にして、手が出ないなら、無料や限りなく安価なもの、自分にとって簡単なことから試してみると、始めやすいです。そこからより深くやりたいということあれば、趣味にお金を使う選択をしてもいいのではないでしょうか。
■無意味だけど、やりたいことには素直になる
無趣味で悩む社会人にとって、お金よりもそれって意味あるのかと思ってしまいます。
僕が以前あった人で成功者は漫画を趣味にしている人が多いから、これから漫画を趣味にするといっている人がいました。きっかけはどこに転がっているか分からないので、そんな動機でもいいと思います。
だけど、意味あるからやるって、ほとんど仕事です。そこで続く人はいいですが、逆に意味ないと思ってしまうからやらない場合もありました。
特に学生時代に勉強をがんばらなきゃと勉強や将来につながらないこと以外の時間を無駄だなと思っていた人に多いです。(僕です)
でも、趣味って自己満足です。自己満足だと思えたからこそ続けられたんだと思います。続けていくと出会いのきっかけになったりといつのまにか意味あるものになっていくんだと思います。
また、1度始めたからって、途中でやめちゃいけないということもないです。ペットなど自分以外に迷惑がかかるもの以外なら、いつ辞めていいと思ってます。
そう思うと、また1つハードルが下がります。
僕は一人で楽しむ趣味ですけど、最初から趣味を通して交流をしたいなら趣味サークルって探せば色々あるので、入ってみるのも一つの手です。
趣味は無意味だけどなんか楽しいから初めると徐々に楽しくなってきます。
意味あるかどうか考えずに、自分がやりたいと思う気持ちを大事にしたら、趣味を見つけられました。
■やるべきことをいかに早く終わらせるか
お金もあり、やりたいこともできたけど、実行する時間がないと言うのが、忙しい大人の悩みです。
でも人の時間は、平等に1日24時間と決まっているので、趣味の時間をつくれる人と作れない人の差は、時間が足りないのではなく、時間の使い方にあるように思います。
そして、社会人にとって多くの時間は「やるべきこと」に使う時間です。この時間をいかに少なくするかで、趣味に使える時間も増減します。
「やるべきこと」を終わらせて時間を作りたいと思った時に、参考になったのは以下の本です。
核となる仕事に集中することで、圧倒的に早く仕事がおえらることを学びました。
成果の80%につながることは、全体の20%など、大事な部分に集中して、「やるべきこと」自体の時間を減らせます。
■勢いも大事
いろいろ書きましたが、僕に足りなかったのは、やりたいと思ったときに実行する「勢い」でした。
いろいろ書いたものは、「勢い」を妨げる要因です。
「勢い」を大事にするとは、自分の気持ちに素直になること自分のです。
自分の気持ちを大事にすれば、生きてて楽しいと思えます。
■趣味が充実すると、仕事にも影響する
社会人になってから無趣味な理由を、趣味への過大評価、お金、有意義、時間に分けて考えてみました。
自分の認識を変えるか、実際に試してみることで僕は趣味を見つけて楽しめています。
趣味を楽しむことで、仕事や他人とのコミュニケーションも楽になりました。
次は絵に挑戦したいです。
【夢は不要】自分の気性に逆らわない仕事選びで、幸福度が上がる
夢や大きな目標がなく、自分を責めていた時期がありました。
それよりも、どうしたら失敗しないのか、損しないようにするにはどうすればいいかと考え、いわゆるポジティブに将来のことを考えることがなく、そんな自分が好きではありませんでした。
だけど、モチベーションは人それぞれで、大きな目標を持つのではなく、僕のように、損失を回避することをモチベーションとする人も、たくさんいるということを知って、だいぶ楽になったし、自分のことを認める助けになりました。
この記事では、仕事に対するモチベーションを「攻撃型」「守備型」に分けて、特に守備型よりに、夢や大きな目標が無くても、仕事を通じて幸せになれるということを書いていきます。
■モチベーションは人によって異なる
人間は不快なことを避けて、快楽を求めるものと考えられてきました。(快楽原則)
しかし、コロンビア大学の心理学教授エドワード・トーリー・ヒギンズ氏は、快・不快以外の別の指標があることを提唱しました。
人の動機には、ポジティブな結果を目指す「促進焦点」(以下「攻撃型」)とネガティブな結果の回避を目指す「予防焦点」(以下「防御型」)の2つがあるという、「制御争点理論」です。
以下、攻撃型と守備型の特徴です。
攻撃型
目標や夢の達成や得られる利益がモチベーションになるタイプ。
競争に勝つことやお金や名誉欲など外的報酬に強い影響を受ける。
大きな夢を持ち、ポジティブに考える。
成長できる環境があっている。
防御型
目標を責任の一種と捉えて、競争に負けないことがモチベーションになるタイプ。
失敗しないことを心がけて、注意深く仕事をする。最悪の事態を考え、時間に余裕がないことがストレスになる。ミスしないようにあらゆる可能性を考慮する慎重派。
安心感を感じられる環境があっている。
基本的には人はどちらかに分類されて、それぞれ快・不快に感じるポイントが違います。攻撃型の人は利益を得られたことを快、利益を得られなかったことを不快と考えるのに対して、守備型の人は、損失を回避することが快で、損失があると不快になります。
また、自分のモチベーションタイプは、努力によって変化するかどうかわからず、基本的には、自分のタイプに合っていると、働きやすい仕事ということになります。
まとめると
■えるばの焦点
ちなみに僕のタイプは、防御型です。なので、失敗しないように仕事をすることに向いているみたいです。
どうしたらミスを未然に防げるのかと考えることが多いです。なので損失を回避するための仕事でモチベーションを維持していけます。
もともとは攻撃型に憧れて、その道を目指しました。しかし元が慎重なタイプだったので、前職で攻撃型の環境に身を置いた結果、適応障害になりました。この焦点の不一致も原因だったのかも知れません。
慎重な人はについては「慎重さを磨く」に、活かし方をまとめています。
■攻撃型が有利じゃない?
現在、若い世代の中で流行しているのは、攻撃型だと思います。現在企業が求める人材も攻撃型にあたる人で、ビジョンや夢を持つことが義務みたいになっているように思います。
そして、攻撃型の方がクリエイティブに移り、影響力があり、かっこいいように映ります。なので、攻撃型のほうが、今の世の中有利じゃないのかと思ったりもします。
夢やビジョンを持つ人は、閉塞感ある時代において、輝いて見えました。僕みたいな意思の弱い人間は、そこに憧れていたし、羨ましかったので攻撃型になりたがっていました。
失敗しないように仕事をする自分を、劣っていると思ってもいました。
だけど、憧れの仕事や無理して作った大きな目標を持っていたとしても、意外に辛いです。情報に煽られて憧れで仕事を選び、自分のタイプとは違うことをすると、不幸になることもあります。
挑戦や夢を追いかけなくても、モチベーションを維持して、幸せに働いていけます。なので、あまりネット上のあおりに惑わされずに、自分のタイプに合ったことを軸に仕事を選んでもいいのではないでしょうか。
■焦点に合った仕事をする
憧れの職業につくよりも、焦点に合った仕事をするほうが、モチベーションも維持できるので、結果として、幸福度にも影響を与えます。
その他『科学的な適職』の中では仕事選び、正確には企業選びについての以下のような間違いと注目すべきポイントについて解説しています。
仕事選びにおける大罪
好きを仕事にする
給料の多さで選ぶ
業界や職種で選ぶ
仕事の楽さで選ぶ
性格テストで選ぶ
直感で選ぶ
適正に合った仕事を求める
徳目
自由(仕事のペースや順番を自分で選べるか)
達成(仕事が進んでいる感覚を得られるか)
焦点(自分のモチベーションタイプとあっているか)
明確(ビジョンや仕組みがはっきりしているか)
多様(多くの工程に関わることが出来るか)
仲間(自分と気が合う人がいるか)
貢献(人に貢献できていることを実感できるか)
安定や安心感を求めて仕事を選んだのに、今の仕事に不満がある場合は、焦点よりも、自分の中で優先する徳目があるかもしれません。なので、自分は仕事をする環境に一番何を求めているのか考えてみてください。
とはいっても、実際は入ってみないとわからないし、防御型と思っていた仕事も、実は攻撃型である可能性もあります。
■社員数をみて、自分に合っている企業を見極める
業界職種という話をしましたが、実際は業界や職種選びよりも、企業選びが就活や転職のメインとなっています。そのため、どの企業が自分のモチベーションタイプに合っているのかを知る必要があります。
しかし、自分に合っているかどうかは、実際入らないとわからないところでもあり、焦点を気にしすぎてしまうと、考えすぎてしまって、仕事選びに時間がかかってしまいます。
ただ、入社前から何もわからないというわけではないです。
一つの目安として、有効なのは社員数です。社員数を見ることで、企業が組織としてどの段階にいて、どんな人を求めているのかを予想することができます。
組織発達段階モデルを参考にすると、だいたい、フェーズごとにどんな社員が活躍しやすいのか、見えてきます。
攻撃型の人は、変化や夢を追いかける創業や拡大化ステージ、防御型の人は組織のルールや維持など、守るフェーズにいる公式化、最適化ステージの企業に目星をつけてみるのはどうでしょうか。
■自分の気性に逆らわないで、仕事を選ぶ
持ち前の気象に逆らわないことと書かれています。情報を簡単に入手できるからこそ、スピードや変化を煽られます。しかし、自分に合っているのは、スピードや変化ではなく、慎重さを認めてくれる業界です。
慎重な自分、心配性な自分を認めてくれるような環境に身を置くと、仕事において、幸福感を得やすいのではないでしょうか。