罪悪感なく断るために、自分の用事を持っておく
仕事関係や友人からの誘い。誘ってくれたことを思うと断りにくいです。たぶん断れる人には当たり前のことだけど、自分にとっては友人の誘いでさえ断ることに躊躇して、自分の時間よりも誘いを優先していました。
最近は改善傾向にあると思います。
■断るときは、具体的な理由を言う
断るときはちゃんと理由を言う。誘ってくれた人に納得してもらうため。
ごめん無理より
ごめん仕事が終わらないから無理
と言ってもらえれば相手も納得しやすいし、不快度は最小限だと思います。
断るときは、相手を不快にさせないことを心がけます。
■物理的な用事を持つ
誘いがある時間に別の用事があると断りやすい。本当に外せないから。
でも誘いを受けるかどうか悩むとき、だいたい自分に用事はない。そして用事なく断ると、裏切ったような罪悪感が残ることがある。
ただこのときの用事ってだいたい仕事や家族関係などオフィシャル?な事情を考えている。
だけど、用事って寝るとか、映画観るとかもっと私的でもいいのではないかと思います。自分の時間だし、断る理由として充分。
友人が今の職場はブラックだけどやりたいこともないから辞めないという話をしていて、やりたいという動機を持つことは大事だと思いました。
誘いを断るときも、やりたいことがあると断りやすいです。
■断ることは拒絶じゃない
自分が断らないと、相手に断られることを怖がります。自分は断る=拒絶だと思っているから、自分の誘いを断られることを拒絶だと思っちゃいます。
自分が断るようになると相手も気分が乗らなかったのかな。やりたい用事が別にあるのかなとポジティブな想像ができるようになります。想像なので真実とは違いますが、同じ想像ならポジティブな方に考えたいです。
そして、断っても人は離れませんでした。毎度誘ってくれます。
■日程を調整する権利や断る権利は持っている。
日程を調整する権利や断る権利を持っていると考えます。
断り慣れていないと、断りの連絡の後、断ってしまった。申し訳ないことをしたとかなり落ち込む。
こればかりは慣れだと思って、続けていくしかない。これぐらいしんどいなら断らないほうがいいと思うかもしれないけど、必要な痛みだと思う。長年続けていたことを変えるのは傷つく。
もし答えを急かしているようなら、その相手が焦っているか、もともと自己中心的なのか、どちらにしろ自分のことは考慮に入っていない。そんな相手の誘いに乗るとたぶん傷つく。誘いに乗った時点で自分の気持ちに嘘ついているから。
■誘いを断る=自分で判断したということ
断るということは、自分で判断したということ、何も考えず誘いに乗ることは、判断していないということ。自分で判断してその結果を得るというのはもしくは責任を持つというのは自分を信じる根拠になるんじゃないかと思う。なぜその判断をしたのか自分しか知らないから。
■最後に
書いてみたけど、断ることに躊躇して流されることもあります。たまには流されるのもいいけど、自分の判断っていうものを増やしていきたいです。