迷惑かけてもいいやと思うことにした。
「人に迷惑をかけるな」と教育される人は多いと思います。僕もそう教わってきましたし、大人に近づくにつれて、自分で自分を律するようになりました。
人に迷惑をかけないでいれば、自分は不幸にならないと思っていました。
でも、人に迷惑をかけないで生きてきても、幸せにはなれず、むしろ自分を縛りすぎて、生きづらかったです。
なので最近は、「迷惑をかけてもいいや」と思うことにしています。このマインドになってから、社会で生きていくことや人とのコミュニケーションが楽になりました。
■それって本当に迷惑か
なぜ迷惑をかけてもいいと思うのか。それは人に迷惑をかけちゃダメと思う人が迷惑は、実際は迷惑ではないからです。
自分は迷惑かなと思って頼んだつもりが、あっさり快諾される経験はないでしょうか。
自分が思っているより、迷惑の基準は低いです。
●基準を知る機会がなかった
そこで問題になるのが、なぜ基準を知らなかったのかと言うことです。他の人は知っているのに、自分だけ高い基準のまま生きているのはなぜなのか。
おそらく、実際に体験していないからではないでしょうか。小さい頃から、自分で決めた高い基準を守っているので、実際に迷惑となる基準を知る機会に恵まれなかった可能性があるます。
そして知る機械がないからこそ、大人に教えてもらい、自分の想像で補っていた狭い範囲が、迷惑の基準になっているんです。
なので自分の基準を平気で超えてくる人には驚きます。
自分が迷惑だなと思っていた、人の家に泊まることは、人によるけど、全然OKだった時はびっくりしました。
自分が思っているより、迷惑をかけるって、もっと悪質なのかもしれません。
図にすると以下のようになります。
■迷惑をかけないと生きづらい
人に迷惑をかけないように生きていると、どうしても言動を押さえなければならなくなります。なぜなら、自分を制御しているからです。
生活していると気づきにくいですが、僕たちの行動は、法律で制御されています。それと同じで、「これはダメ」と自分にルールを課しているんです。
もしこれが、1人の他人に対してなら問題ないです。でも今まで我慢した人は、社会や大勢に迷惑がかからないように意識しているのではないでしょうか。
この言動は親に迷惑をかけないけど、大勢には受け入れられないからボツ。大勢には受け入れられるけど、Aさんに迷惑をかけるからダメと、どんどん自分の行動範囲を狭めてしまいます。
■何かすれば、誰かに迷惑がかかる
迷惑をかけないようにしていたとしても、結局誰かには迷惑をかけます。どんなに気をつけていてもです。
なぜならどんなに、幅広い人に気を使っても、全員を網羅することは不可能に近いからです。
生きているとどんなに気をつけたとしても、人に迷惑をかけていると思います。人に迷惑をかけるなと言ってきた両親や先生も、僕や別の誰かに迷惑をかけています。
迷惑をかけるなとは無理な話です。
人が動けば、何かしらの形で、誰かに迷惑がかかります。
■迷惑をかけることを自覚しなさい
人に迷惑をかけるなという言葉を両親や学校の先生から何度も言われてきたと思います。
僕も、小さい頃から周りの大人に言われていましたし、中学校くらいからは自分で「人に迷惑をかけてはいけない」と理性を働かせていました。人に迷惑をかけなければ、嫌がられることも少なくなり、人間関係を円滑に進めることができるからと考えていたからです。
でも、迷惑をかけなかったからって、人間関係が円滑に進むことはありませんでした。むしろ自己主張ができず、人に押し付けれらることが多かったです。
ただ、「人に迷惑をかけてはいけません」は絶対のルールではなく、あくまで日本の中だけの教育方針でしかないのかもしれません。
全世界のことはわかりませんが、インドでは迷惑をかけることについて、「人に迷惑をかけることを自覚しなさい」という教育をするらしいです。
インドの教育を知ったとき、より本質を捉えているのはインドだなと思いました。
生きていれば、人に迷惑をかけることは当たり前で、そのことを自覚して行動することが大事なのかもしれません。
■迷惑をかけてもいいと思った後のメリット
人に迷惑をかけるということは、当然損もします。なので得をしたなと思ったことを書いてみます。
●自分に素直になりやすい
迷惑をかけないようにするということは、自分の言動に制限をかけているということです。自分の行動に制限をかけているということは、自分の気持ちに嘘をつくことになります。この制限が、生きづらさを生み出しているのではないでしょうか。
人や社会に禁止される生きづらさもあれば、自分で禁止をしている場合もあります。僕がまさにこのタイプです。
自分の気持ちに気づくという意味でも、迷惑をかけてもいいやと考えることにしました。
●人に優しくなれる
「迷惑をかけてはいけない」状態だと、自分の基準外で、迷惑をかける人を許せないときがあります。
でも自分が迷惑をかけてもいいと考えられれば、他の人も自分に迷惑をかけることも当然だと考えられるので、人を許せる範囲も広がります。
飲食店でバイトしたことある人は、店員さんのミスに優しくなれるのと似ています。
●責任感が出る
人に迷惑をかけないように生きていると、自分の選択のはずなのに、親に迷惑をかけない選択という、条件がつき、自分の選択のから離れます。
それでも、自分で選択できる人もいますが、どこか納得できず選択して、モヤモヤを抱えながら生きていきます。
だけど、迷惑をかけてもいいやと思うと、自分だけの選択になり、選択したことを自分ごとに捉えることになり、責任感が出ます。
■迷惑の基準を変える
「迷惑かけてもいいや」と思うには、長年の積み重ねで築いてきた迷惑の基準を変えていく必要があります。基準を緩くしていくことで、許容範囲が広げていきます。
その手段として、効果と即効性として有効なのは経験をすることです。
シンプルですが、自分が迷惑かなと思うことをあえてやってみましょう。
僕の場合は、奢ってもらうことを迷惑だと思ったので、友達に奢ってと言ってみました。友達は余裕で快諾してくれました。
経験をすると、自分が迷惑と思っただけで、大したことないとわかります。
もちろん、外すこともあるけど、明らかに怒らせるほど境界を飛び越えなければ、ちゃんと謝られば、修復可能な範囲でした。
何より自分が思っているより、人の許容範囲は広いです。
それでも、いきなり自分が悪いなって思うことを、他人にやるのは勇気がいることです。なので多少ミスっても大丈夫な家族や友人を相手に実践するとハードルが下がるかと思います。
■思い込みを外すと生きやすくなる
人に迷惑をかけてはいけないという思い込みから、外れると生きやすくなる理由は、言動の選択肢が広がるからです。
今までの不必要な制限から自由になれるため、生きやすさを感じることが出来ます。
■人に迷惑をかけてもいいと思ってから、生きるのが楽になった
全ての人に迷惑をかけないように、他人に気を使うことは疲れます。でも、迷惑をかけないようにしても、結局誰かしらに迷惑をかけるし、メンタル的にも損でした。
もう少し気楽に、最悪迷惑かけちゃうかもぐらいの意識で言ったほうが、人と接しやすいし、生きやすいです。
もちろん意図的に人を傷つけるのはよくないけど、自分を制御しすぎるのもよくなかったです。