自分の感情を受け入れることが自信につながる
「生きる気力がない」
「何をしてもつまらない」
僕は長い間、頭の中でこう思って生きてきました
生活に不自由することなく、友達がいなかったわけでもない。仕事では上司に褒められたり、結果も出していた。だけど何をしても無気力な感覚が抜けませんでした
それはなぜか?
今振り返って思うのは、一度だって自分の意思でそれらを行った記憶がないということです
生活に不自由はないが親の言うことを聞く良い息子であろうとしていたし、友達の誘いを断ることはなかったし、仕事では自分の都合よりも上司の指示や任された仕事ばかりをやっていました
そうやって誰かの期待の中で生きてきた僕は自分のしたいこと、自分の感情に蓋をして無視してきたため、感情を把握できなくなりました
この状態になるとどうなるかというと、何かに感想を持つことが少なくなり、嬉しいとか悲しいとか、つらいなどの感情が分かりにくくなり、その感情が爆発するまで気づかないんです
うまく生きれている人ならその感情を小出しに出来ているから目立ちませんが、感情を爆発するまでため込んでいる人はその一回ですべてを失うことになります
しかも、普段はおとなしい印象を持たれている人が多いので、普段とのギャップでより攻撃的に見えてしまいます
なので感情というのは無視せずに、受け入れていった方がいいのですが、僕たちは争いを好まない性格もあって、波を立てるぐらいなら自分が折れることでその場を収めようとします
そのために断れなかったり、誰かの期待に応えることで満足感を得ようとします
ですが、これは結局短期的で、長期的に見ると感情を抑えている人にとって損しかありません
まず感情を抑えているという時点でストレスがかかっています
感情は自分の幸せに直結する者なのに、それを無視しているので当然ですね
また感情は自分の能力を引き出すものでもあります
そのため感情を無視している人は能力を自分の能力を抑えてしまって、本来の力が出せていないということになります
発揮できるはずの能力を使わないことによって、仕事で結果が出なかったり、人間関係にも影響が出てきます。何より自信が育ちません
また、感情を抑えている人っていうのは、誰かにとって都合のいい人間になってしまいがちです。
「いい人」と言われることが多いですが、基本的には搾取されます
そして、僕が生きてきて実感したのですが、自分の感情を抑えて我慢して人のために何かをやったとしても、感謝されるかもしれませんが、全く尊敬されません
しかも尊敬されないことを自分が劣っていると考えて、より自分の感情を無視して人に尽くしていってしまって、結局抱えきれなくなってパンクします
僕はなんどもそれでパンクしました。パンクするたびに自分はまだまだなんだと反省し同じことを繰り返してきました
ようは他人軸なんですよね
自分の感情ではなく他人の感情を軸に生きているから、無気力な感覚が抜けなかったんです
ではいつから僕は感情を無視してきたのか
僕は親の言うことをずっと聞いてきました
親が言ったことが正しいとずっと思って生きてきたので
ですがその時点で親の軸で生きていることになりますが、そう考えるとものごころ
ついたときからということになります
ですが、それはどの子どもも同じはずです
僕と他の人たちにどんな違いがあったのか
僕の考えは反抗期です
僕は反抗期がありませんでした
昔からテレビをみていて反抗期は悪いもの何だという認識でいて、その行為で親を傷つけてしまうということが分かっていたからです
ですが、反抗期は自分の価値観と親の価値観との衝突です
その価値観の衝突を経て、親と自分が対等な大人の関係になっていくことで、人との関係を学び、家族以外の人とも同様に健全な関係を築いていけるんだと思いますが、僕はそれがありませんでした
誰かと争うこと、衝突することを極端に怖がってしまいますが、それは一番衝突しやすいはずの親との衝突がなかったので、その方法を学ばないまま生きてしまったんです
その結果人と関係を育むために人の期待に応えることしか選択肢がないと思ってしまって、社会の常識で生きる、上司の命令には従う、友達の誘いを断れないなどどんどん自分を無視した生き方になってしまいました
ですが、いまさら反抗期をしてもしょうがないです
なので、感情を取り戻すには自分で何とかするしかありません
ではどういう方法があるのか
僕は今まで感情を無視してきた人がいきなり自分の感情を把握し、その感情に従うことは難しいと思います。それはかなり勇気がいるからです
なので、小さなことから始めてみるといいと思います
例えば、僕はアルコールが苦手で、飲み会だったとしてもなんでお酒を飲まなきゃいかないのかと思っていました
以前はアルコールが苦手で、なんで飲まなきゃいけないのかと思っていても、場の空気を乱さないようにみんなと同じものを頼んでいました
ですが、いまはそれをやめてソフトドリンクしか頼まないようにしています
最初はなんで飲まないのという他人の目があり、気にしていましたが、何回か行っていくうちに気にならなくなり、しかもそれでも誘われることに気が付きました
そうやって自分の好きなものを頼むという感情に従った行動を繰り返して少しずつ自信がついてきました
その他、自分の思ったことを紙に書く、自分の予定と感情を優先して誘いを断る、人の意見を聞くときに、相手を否定せずに自分の意見も付け加えるなどの方法を試すことによって自分の感情が復活してきました
そしてなにより、怒りやイライラといった今までは自分の醜い部分を押さえつけてきましたが、その部分を自分が受け入れて、嫌いなんだと認めることによって、嫌いなことを避けられるようになりました
感情を出すこと、自分を中心に物事に取り組むようになったので、少しずつ無気力感は薄れてきて、前よりも感情を出せるようになりました
感情を出すことで都合の良い僕が必要だった人たちは離れていきましたが、それでも一緒にいてくれる人との時間を大切にできるようになりました
長年感情を無視してきた結果我慢してなんとか人のためにと思っていたのに、報われないなと思っていたのですが、そもそも感情を無視して我慢しても相手にとっては利用できる人でしかありませんでした
なので、自分の感情を受け入れたうえで他人と衝突しながらうまく関係を気付いていく方が結果的に自身につながるし、幸せです
感情を出せずに長い間過ごしてきてしまった人は誰もが受けるような同調圧力や期待を敏感に感じ取りすぎてしまったのかもしれません
そのせいで長い間苦しい思いをしてきたと思いますが、その敏感さは明らかに武器です
なのでその敏感さを煩わしいものと抑え込んだりせずにうまく使って、かつ自分の感情を出し、取り戻していく
そんな挑戦が今からでも自信を育んで、自分を強くすることに繋がります