謙虚さとは、学ぶ姿勢
謙虚にしろとよく言われます。しかし、謙虚に接した相手が調子に乗って、無理難題を突きつけてきたり、無礼な態度を取ってくることが頻繁にあります。
そのような態度を取られると、謙虚でいるのって損です。
ただ多くの本で、成功者は謙虚と書かれているのし、僕自身も謙虚な人間でありたいと思っています。
そこで考えたのは、自分の思っている謙虚は、本当は謙虚な態度ではないということです。
この記事では、本当の謙虚とは何かについて考えていきます。
■謙虚で損をした。
僕は人からよく謙虚な人だと言われてきました。
あまり自己主張するタイプではないですし、人に譲ることが多かったので、謙虚だと思われたんだと思います。
僕自身も、謙虚と言われて、悪い気はしなかったので、自己主張せず、多くを人に譲る事は良いことだと思って、ずっと生きてきました。
様々な本に、謙虚さは必要と書かれていて、周りの人が自分のことを謙虚といってくれるので、自分は当てはまっていると喜びました。
それで、うまくいっていると思っていました。
しかし、社会に出てからは、裏目に出ました。
自己主張しない、人に譲ることを優先にしていると、利害が関わる場では、損することが多くなってきました。
それが、1回や2回であれば、損することもいいかもしれません。しかし回数が増え、積み重なっていくと、自分では、どうにもできないほど、損は大きくなってしまいました。
結果として、適応障害になるまで自分を追い込んでしまいました。
■謙虚じゃなければいいのか
適応障害の症状が落ち着いて、過去を振り返ることができるようになった時、自分の謙虚な部分が原因だったのではと思うようになりました。
謙虚で人の言うことばかり聞いていたから、駄目だったんだと思ったんです。
そこで、人の言うことを聞かず、自分の考えのみに従って生活して見ることにしました。
人に頼まれたことは全て断り、自分の考えを積極的に主張しました。
僕の中で、結構うまく行きました。
こうすれば、自分は損せずに、生きていけると思いました。
しかし、一方で、人の話を聞かない人という評価を受けることになりました。
この時点で、謙虚さを手放そうと思っていたので、評価自体は気にしていなかったのですが、自分の言動に違和感はありました。
僕個人はよかったけど、周りの人を嫌な気分にさせていたんです。
だからといって、昔の自分に戻ると、また自分は損をします。
じゃあどうすればいいのか考えたときに、そもそも自分の思う謙虚って、本当に謙虚なのかと言う疑問を持ちました。
■従うことは謙虚さじゃない
多数の本に、謙虚であることの重要性が書かれていました。
しかし、ほとんどの本の中に、謙虚さとは何かという問い答えてくれる本はなく、どういう行動が、謙虚なのかわかりませんでした。
しかも、多くの人が、謙虚を説いているにもかかわらず、謙虚さを単に指示に従うこととイコールで考えてしまっていました。
それは、人をコントロールするための、押し付けです。
仮に指示に従うことを謙虚さとした場合、本で見るような成功者の方のエピソードと食い違いがあり、彼らの成功の助けをしたとは思えませんでした。
■謙虚でいることは、学ぶ姿勢
では、何が謙虚であるのか。
僕の中の答えは、「学ぶ姿勢」だと思いました。
自分の意見の正当性を主張したり、間違いを認められない。ことは、謙虚じゃないと言われます。
なら逆に、間違いを、間違いとして認められることは謙虚さなんじゃないかと思います。
そして、間違いから学ぶ、自分の足りない部分について学ぶ姿勢は謙虚です。
どんなところ、誰からでも学ぶ姿勢をしているから、成功できたんだろうし、その意識が、結果的に、腰の低さや柔らかい態度に現れ、人から、「謙虚な人」だと評価されたんだと思います。
■謙虚ながらも譲らない
謙虚さとは、学ぶ姿勢であり、意識で、行動に落とし込むと、人の意見を聞くことになります。
なので、社会全般で言われ、僕が長い間、思っていた謙虚さは、一部正しいです。
ただ、それだけだと自分はそんな役回りのみになってしまいます。
そのため謙虚さに必要なのは、学ぶ姿勢と、あっていると思うことは曲げない強さも必要なんだと思います。
間違った意見や自分に合わない意見は、ちゃんと違うと言えることも謙虚であるために必要なことです。
学ぶ姿勢と自分の意見をもってこそ、本当の謙虚さを発揮できます。
■自分の意見を持ちつつ、相手を尊重して、謙虚さに生きる。
僕自身まだ、自分の意見を押し通したいプライドみたいなものがあり、謙虚になり切れていません。
ただ、謙虚さの意味を知り、指針ができたので、少しずつ変化させていきます。