自分から犠牲者になっていないか
僕は誰か犠牲の上に成り立っているものが嫌いだ。
弱い立場の人間を利用して、自分の都合のいいように扱っているものを嫌悪している。実際にそういう人や環境を体験しそう思った。
それが自分に降りかかったとき、誰かに虐げられたり、不当に扱われて、なんで自分がと思ってしまうこともあると思う。
だけど、それを常態化させて、何も変化させようとしないのに、自分は犠牲者だから助けられてあたりまえというのは違うと思う。
僕は誰かを犠牲にして成り立つものと、犠牲者のまま自分では何もしないのに、自分は犠牲者だから助けられて当然と思っている人が嫌いだ。
犠牲者とは何か
そもそも犠牲者とはなんなのか。これはあくまで僕の見解なのですが、
誰かが得をするときにに、不利益を被っている人のことを言うと思います。
不利益とは、例えば正当な対価をもらえない、自分の想いを踏みにじられるなどです。
正当な対価をもらえないということは、支配している側に時間を明け渡しているということです。
自分の想いを踏みにじられるということは、実は相手の言いなりになってしまい、要求を100%受け入れていて、自分の考えが他人のとの関係の中に含まれていないということです。
そうすると、本来対等な関係であるはずなのに、上下関係ができてしまって、相手の要求を聞くことが、当たり前になってしまいます。
だいたい支配する人は、相手のことを利用しようと考えていますが、犠牲になる側は情報が少ないせいか、あまり自分が利用されてしまうということに無頓着です。
犠牲者であることを利用していないか
ですが、犠牲者が良くて、支配している側が100%悪いということではありません。その最も具体的な例が、犠牲者の側が自分の立場を利用している場合です。
例えば、Twitterでインフルエンサーのアンチコメントをしている人や、自分は悪くないのけど、社会が悪いと平気で言ってしまう人です。
そういう人たちは、自分は弱い立場であるから、助けられて当たり前の存在であり、助けがないのはおかしい不平等だと思っています。
ですが、それを自分で何とかしようとせず、ずっと他人からの行動を起こしてもらうのを待ってしまいます。
もしくは、犠牲者のままでいることによって得られる利益をずっともらい続けようとしています。
そのポジションは自分が望んだもの
はっきり言ってしまうと、それは自分がそのポジションを望んで、収まっているというだけです。
自分はのポジションに満足していないと思っている人もいるかもしれないですが、
その現状に長い間いるということは、やはりその場所にいることで何かを得ているということです。要は安心感があるのではないでしょうか?
そこにいれば、危険を冒さなくていい。今の在り方は楽。何もしなくてもいい。自分が傷つくことがない。そういったニーズを満たすためにそこにいるのではないでしょうか?
もしかしたら抜け出そうと思っているかもしれませんが、長い間抜け出すことができていないなら、抜け出した先に待っているものを想像して、自分には無理だとあきらめてしまっているかもしれません。
無理な結果を受け入れるのが怖くて、その場に留まること選択してしまっているかもしれません。
確かに現状のまま、自分が犠牲者で、人の言うことを聞いていれば、楽です。
傷つかないし、自分で考えて行動しないので、失敗もないし、実は居心地がいいのかもしれません。
アルスラーン戦記という漫画にこんな言葉が出てきます。
寛大な主人のもとに奴隷であること。これほど楽な生き方はありません。自分で考えう必要もなく、だた命令に従っていれば、家も食事もくれるのですから。
ただその楽のために払っている犠牲は大きいです。
全体的な物事は進んでいるけど、自分は犠牲になっているので、前に進んでいません。
ナルサスの言葉のように、もはや奴隷です。
嫌だ嫌だと言いながら、実は自分で現状の関係を受け入れてしまっているなら、自分を無視してしまっています。
自分を無視して、苦しいですが、理性で今の現状から脱することが危険だから、やめようと押さえつけています。何度も言いますが、その方が楽だからです。
今の時代、やろうと思えばなんでもできると思います。
ノウハウはネットに無料で転がっているし、簡単に人にも会えます。
それでも知らなかったというのは、無知なふりをして、誰かにやさしくしてもらいたいと思っているだけです。
自分は無知だから、優しくしてもらって、人から助けてもらって当たり前と思い、自分から何もしていません。
自分は苦しまなくていいという得をもう得ているんです。
しかし、楽をしている代わりに経験を失っています。そしてどんどん犠牲者マインドになっていきます。
自分に聞いてみてください。
自分でその道を選んでいないか?
そこから安心を得ているのではないか?
弱者でいることを自分で選んでいないか?
その安心を得るために不満は全くないのか?
相手はそれが当たり前と思っている
自分が犠牲を払ってやっていると思っても、誰も助けてくれないし、自分が望むほど感謝もされません。
なぜなら、それで相手との関係を無言のままお互い受け入れているからです。
それは、自分が相手にこれは嫌です。と言っていないからです。
だから相手は許容範囲だと思って、あなたが犠牲を払ってやっていることを当たり前に要求してきます。
なので、他人に無言で変わってもらおうとしても、無理な話なのです、。他人はコントロールできないので。
もし、自分が犠牲者だと思い、いつかこの関係に気づいて優しくしてくれるとか、今の自分の我慢は報われると思っているなら、考えを改めて今から関係を見直していった方がいいです。
もしその不満があるのなら自分の行動を変えるしかありません。
それには勇気がいることかもしれませんが、やってみる価値はあります
現状は自分がした行動の結果です。ですがそれは無期式に自分が選んできました。
今後は自分の望む結果を意識的に選んでもいいと思います。
忘れてはいけないのは、利用する側もその犠牲者も実はお互いに欲を満たし合っているということです。
抜け出すには自分に正直なること
自分の理想と向き合ってみることです。
今ままで、自分が傷つかないようにするために無視してきた自分の理想を正面から受け入れることです。
それをすると、今まで維持してきたものはなくなります。孤立するかもしれないし、非難を浴びるかもしれません。
だけど、それは必要なことです。
今まで維持してきたものは、あくまで他人の価値観であり、自分の想いを犠牲にして、成り立っていたものだから。
今まで、自分の理想を無視してきたなら、理性が強く働いて、自分というものを探すのが難しくなっています。
だからすぐには見つからないかもしれません。だけど探し続けてみてください。自分の感情に敏感になってください。
嫌だなと思うものがあるのなら、それはチャンスです。しっかり向き合いましょう。
オススメは日記を書くこと。箇条書きでもいいのでその日あったことを書いて、その時に自分がどう思ったのかも一緒に書いてみてください。
自分の好きなこと、嫌なことがはっきりしてきます。
僕は犠牲者のふりをして生きてきた
今まで、自分で犠牲者に甘んじている人について厳しく書きましたが、何を隠そう、自分自身を犠牲者と思って、それに甘んじていたのは僕です。
今まで、人にものが言えなかったらり、押し付けられることが多かったですが、それを自分ではなく、他人のせいにしてきました。
そして、自分の性格だと思って、直す努力もせず、受け入れて、自分はダメなんだと諦めていました。
僕は、人を支配しようとする人が嫌いであり、誰かの犠牲で成り立っているものが嫌いですが、それと同じくらい犠牲者で甘んじて、変えようとしないのに、他者に何かを求める人も同時に嫌いだということに気が付きました。
そう思ったとき、ほかならぬ自分がそういう人間であるということに気が付きました。
そして、今そういったマインドから脱却して自分の人生を生きるために、試行錯誤しています。
もう他人の人生を生きるのは嫌なので、自分の人生を選び取って、自分の理想に沿った結果を手にしていきます。
ありがとうございました。
最後に僕の好きな言葉を送ります。
自由の代償は高い。これまでもそうだった。僕は喜んで代償を払う。
キャプテン・アメリカ『キャプテンアメリカ ウィンターソルジャー』より