自分に完璧さを求めない
完璧さを求めない方が生きやすいです。
いつの頃からか、完璧主義と言われるようになった。自分では結構当たり前のことをやっているつもりなんだけど、周りからは、細かいとか、真面目だねなんて言われました。
言われ続けるとそれが良い意味で使われていないことはわかる。なので、言われるのも自分が完璧主義な人間だと思うことも嫌でした。
しかも、年齢が上がり、環境が変わっていくほど、完璧にはいかなくなってきます。
それが何回も続くと、完璧にできない自分に腹が立ったし、完璧にしない周りにも厳しくなりました。
自分を苦しめ、周りに疎まれることは、しない方がいいです。
なので、完璧さを求めない。
足りないところを補わない
完璧主義の人にありがちなのが、欠点を見つけてしまう。これ自体は優れた才能だと思うのですが、欠点を自分に向けてしまうことが結構ある。
能力、ステータス、容姿、コミュニケーションなど、ありとあらゆるものが自分には欠けていると思ってしまうのが完璧主義者。
ただ、それって永遠に満たされることのない欲求を満たそうとしている行為なんですよね。
ある能力を手に入れたとしても、その能力を自分よりうまく使う人はたくさんいるから、もっと研ぎ澄まそうと思ったり、別の能力を手に入れようとしたり。
向上するのはとてもいいことだけど、その追っかけ方だといつまでたっても終わらない。
完璧主義すぎると、永遠に満たされないままで、全然幸せになれないかもしれない。
それで、何かしたいことがあっても、これができるようになったらとか、もっと自分を磨いてからという思考になってしまって、全然先に進まなくなってしまう。
完璧主義ってそういう弊害もあります。
また、全部自分でやろうとしてしまうのは、自分の良いところやもともと持っているものをさらに深く追及する時間を奪っていて、スペシャリストにはなれないし、幅広くやろうとして、周りにいる人の仕事を奪ってしまっている。
もしチームなら、メンバーは仕事をする機会を奪わているので、一向にスキルアップせずにチームの能力自体も上がっていかない。
自分の書けている部分を補おうとする行為は、向上したいというよりも、不安からきているところがある。
不安を消そうとして、そのための努力を精いっぱいするけど、それが終わると間和違う不安が出てくる。そのあともまた不安が出てくるの繰り返しです。
そのたびに自分はまだまだだと、攻撃し続けているので、ずっと自分自身を傷つけています。
欠けている部分って実は自分の個性でもあるので、欠けている部分を強制しようとするのは、個性を殺そうとしているのと同じかもしれません。
大勢の人と一緒にいるのが苦手だったとしても、それを一人でいても苦にならないと変換できるかもしれない。リフレーミングという言い換えの手法があるので試してみるといいかもしれません。
もし欠点があったとしても、それ以外の部分出来ればいいだけなので、欠点を治すことから会えて目を背けられるようになれるといいかもしれないです。最初はめちゃくちゃ意図的にやらないと、またすぐ欠点に目がいってしまいます。
誰もが知っている推理小説の主人公のシャーロック・ホームズも推理の腕や、推理に必要な知識量は情人ではないのですが、世間一般の知識や興味のないことはほとんど知らなくて、相棒のワトソンに助けてもらっています。
そうやって自分の欠点の部分は自分で得ようとするのではなく、他の人に任せてしまう勇気を持つことが大事です。
全部やろうとしたら時間も労力も絶対に足らないんだから。
自分を受け入れる
さっきも書きましたが、完璧を求める人って自分のことを足りない人間だと思ってしまいます。
どこまでも向上していこうとするところはいいんだけど、全然自分を認めるKとができない、諦めの悪いところでもあると思います。
何か足りないところがあるから努力するよりも、やりたいことに向かって努力したいです。
そのために、自分が何か欠けているという認識を辞めて、今の自分で十分とまずは認めてあげることが大事です。
それは自分を過大に評価するのではなく、今の自分の能力や言動、容姿などすべてを客観的にみて、俺はこういう人間だと言ってしまうことです。ビッグダディが似たようなセリフを言ってましたね。
マイナスをゼロに戻すのではなく、ゼロにプラスしていくイメージです。
自分を受け入れるのに、良い方法は、紙に自分の良いところ、気になるところ、嫌なこと全部書いていてみることです。
嫌な部分を書くのは傷つくかもしれないですが、過去から現在までの自分としてうけいれてみてください。その嫌な部分は将来の自分ではないので安心してください。
さっき紹介したリフレーミングを使うのもいいかもしれないですね。
他人を完璧だと思わない
自分はかけていると思う割には、他人のことを完璧だと思ってしまうんですよね。
完璧な人間なんていません。それをまず認識する必要があります。あまりにも他人を特別視しすぎです。
そして完璧さを他人に求めて、勝手に期待値上げてしまっているので、期待通りでなかった他人に厳しくなってしまいます。人を原点方式で見てしまっています。
自分が完璧でないと気付いているなら、他人もそうでないとわかりますし、自分を受け入れたら、他人のミスや欠点も気にならなくなってきます。
人を原点方式で見るのではなく、加点方式で見る。
そのために、また書くんですが、周りの人の良いところを書いてみるのがおすすめです。感謝したいことを書いてもいいと思います。
欠点よりも良い点を見る癖がついてきます。
細部よりも核を見る
今まで、完璧にやろうとして、テストの範囲をまんべんなくやろうとしたり、細部までこだわってやろう、と思ってはこなかったでしょうか。僕はずっとそういう考えでやってきました。
自分でいうのもなんですが、適当が許せなくて、自分に課す基準が高かったのかもしれません。
でも、全部をやろうとしなくていいんです。全部完璧にやらなくても以外に困らないです。困ると思っているのは案が自分だけかもしれません。
学生時代や職場であんまり時間かけていないのに、自分より点数が良かったり、成果を出している人はいませんでしたか?
そういう人って隠れてたくさんやっているのではなくて、核となる部分を見つけて、そこを集中的にやっているだけなんです。それを見つけるのが早くて、そこをやればいいと気付くのが早かったんです。もしかしたらこういう人を才能があるというのかもしれません。
だけど、それを才能で済ませずに自分で身に付けることもできると思います。
今までそういう思考をしてこなかったので最初は難しいと思いますが、試してみるといいと思います。
まずは時間は無限ではないと改めて気づくことです。
そして、やることを決めたらそれを、時間を決めてその時間以内に終わらせるようにすることを習慣づけるといいです。今まで自分がそれにかけていた時間よりもかなり短くしてみるといいです。
そうすると、やれることが限られてくるので、細部のことよりもよりやらなきゃいけない重要な部分にのみ集中できるようになります。
最初は全然できなくて気持ち悪いかもしれないですが、それでいったん終わりにしてみてください。
時間は有限なので、その決まった時間の中での最大のパフォーマンスをするしゅうかんをつけてみてください。
僕の好きな漫画で、期末テストは限られた時間の中でいかに高い点数を取るかを学べると言っていました。
あとは何をやるにも、計画に完璧さを求めないことです。
計画段階で想定されることなんて限られているので、そこで細かいところまで考えようとしてしまうと、肝心の行動に移れなくなります。
計画が100%その通りに行くことはないので、重要なことだけ決めて、やってみるといいです。そして、進んでいく道を完璧に近づけていけばいいです。
あとは、0か100かという考えではなく、ちょっとずつ進んでいくという思考も身に付けられると思います。
今まで頑張ってきたことは無駄じゃない
完璧主義を辞めるためにってことを書いてきましたが、別に今までの欠点を補おうとする努力は無駄ではありません。それによって身に付けられたことがあるでしょう。僕も人とのコミュニケーションが多少うまくなりました。
また、スポーツや芸術は自分思う完璧さを追いかけている人が一流になっているそうなので、一概に悪いとは言いきれません。
ですが、完璧さを求めすぎて、自分が疲弊しているなら、それはやめた方がいいのかもしれません。自分を受け入れられず、傷つけているだけかもしれません。
自分が完璧にならなくても、生きていけるし、力を入れすぎてやるよりは、うまく抜いてやれる方法を考えてがえてみると楽になるかもしれません。