えるばブログ

3年前の自分に言いたい人間関係・性格との向き合い方を書くブログ

押さえつけてきた自分の本音を探る方法【好きなことを自覚する】

好きなことをやろうと言われる時代ですが、簡単に好きなことを見つけることができない人もいるのではないでしょうか?

 

今まで好きなことを押し殺して生きてくると自分の本心がわからなくて迷走してしまいます。

 

僕もずっとわからなくて、苦しい思いをしています。


迷走すると、好きなこと探しで余計に時間を使ってしまいますし、時間をかければかけるほど良いものが見つかるというわけではなく、むしろもっと思考が迷子になります。

 

どうして、すきなことがわからないのか。原因の一つとして、今まで自分の本音を出さずに我慢してきたことが考えられれます。

 

今まで我慢してきたものをいきなり自由にしていいよと言われも、すぐには無理かもしれません。

 

なら今まで我慢してきて隠してしまっている、自分の本音を引き出すためにはどうすればいいのでしょうか。

 

 

本音を隠す原因は?

 

立場上我慢しなければいけなかった

例えば兄弟のお兄ちゃんの場合、親からは「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」と言われて、譲る側に回ることが多かったのではないでしょうか?

 

友達同士でも、自分のことよりも、相手のしたいことを優先して、ご機嫌を取っとかなきゃいけない立場になったことがあるのではないでしょうか。

 

このように立場上我慢することが癖になると、それ以外の立場になったとしても、似たような言動をとってしまうことがあります。

 

でも、それって思いこみなんですけど、小さい頃からの思い込みを解く機会に恵まれなかったのかもしれません。

 

 

わがままは悪いという刷り込み

 

人生の中でわがままは悪いという刷り込みがあったのではないでしょうか。

 

わがままというのは、好き勝手やって人を害することではなくて、自分の考えや主張を外に表現することです。その過程で全員に対して気を使って発言するということはほぼ無理です。

 

なぜなら、自分が主張するということは今までと違うことを言っているということになって、今までやってきたことで良い思いをしてきた人からすれば、邪魔な意見になるからです。

 

そのときに、その意見を良く思わない人から、中傷された経験があるのかもしれません。それをしたせいで、仲間外れにされた経験があるのかもしれません。

 

その経験から、自分の主張を表に出すと、わがままと言われ、迫害されるということを自分に刷り込んでしまい、結果、自分の本音を隠すようになったのではないでしょうか。

 

学校でも職場でも周りとの協調を強いられることが多いです。集団をまとめるには協調性があったほうが楽なのですが、それが個人の感情を抑圧している状態で維持されるのは異常な状態だと思います。

 

 

我慢が美徳という価値観

いまだに残っている価値観ですが、我慢することで集団や他人に貢献することを美しいと思う風潮があるのではないでしょうか。そしてその価値観に合うように自分から我慢して本音をを隠すことで、他者に貢献する方法を選んでいるのではないでしょうか。

 

というよりもそれしかやったことがないのかもしれません。

 

我慢を美徳とする価値観はとても危険です。

 

我慢して、他人や集団に貢献したとしても、周りの人はそれがあたりまえだと思ってしまって、実はあまり感謝の心がありません。

 

また、我慢してきた人が脚光を浴びるときって、我慢し続けてダメになったときなんですよね。いなくなって初めて大切さがわかるって、報われてわれているようで、利用しようとしているとしか思えないです。

 

そういった価値観がある環境に身をおいていると、我慢があたりまえになってきてしまいます。

 

 

しなきゃいけない思考

 

したいことよりも、しなきゃいけないことを優先してきたのかもしれません。

 

しかもしなきゃいけないは自分が決めたものではなく、他人が決めたしなきゃいけないことなので、我慢と同じですね。

 

義務だからというけれで、そこに自分の意思は介在していない状態です。

 

「仕事だから」とか「男だから」とかがその典型です。

 

これだと自分の思考の幅を狭めてしまいます。

 

 

 

実は都合がよかった

我慢してやっている自分によっているタイプです。我慢してやっているのだから、いつか良いことがあるだろうと思ってしまいます。

 

あとは我慢して、他人に乗っかることで自分の責任を丸投げして、自分は楽になろうとしているんです。無自覚かもしれませんが、そういう場合もあります。

 

自分で考えないで、人に考えさせた方が楽ですし。

 

僕もそうで、いま我慢してやっているんだから、いつかわかってくれるだろう、いつか報われるだろうと期待していました。

 

だけど、そんな人に期待通りのものが返ってくるはずはありませんでした。

 

 

 

そこから起きてしまうことを

 

個性がなくなる

自分の主張や考えが個性を形成していくと思うのですが、それを無視して、我慢が癖になると、個性が大事になるこれからの時代に、個性がなくなったり、外から見ると無個性の人間のように見えてしまいます。

 

そうすると、他人にとって都合の良い人間になって、またどんどん我慢を続けていくことになります。

 

 

自立できない

自立した人間になることが難しくなります。ここでいう自立は自分で考えて行動できないという意味です。

 

自分の考えで行動せず、他人の意見に従って生きていると、自分の考え深める必要がなくなるので、楽ですが、思考する癖がなくなってしまいます。

 

また、他人の意見が間違っていて、自分の考えが確実に会っていた場合でも考え話さずにいて、集団自体が間違った方向に進んでいってしまって共倒れになってしまいます。

 

そうなった場合に他人の責任し、自分の考えであればこうはならなかったと、あとから意味のないことを考えてしまいます。

 

自己判断で動けないということは、自分の考えで成功したり、失敗したりする経験ができないということです。

 

その経験ができないと、自信を持つことができなかったり、失敗に対する体制が付かず、失敗を極端に恐れたり、失敗したときの落ち込みようが尋常じゃなくなったりします。また、成長もできなくなります。

 

 

自分の本音が分からなくなる

やろうとしても自分の本音が分からなくなってきます。そうすると、時間がどんどん経過してしまうのに、結局わからなくて落ち込んだりします。

 

今まで我慢し続けてきた癖をいきなり辞めるのは難しいので当然なんですが。

 

また、本音がわからなくて悩んでいると、今やっていることが手につかないこともあります。

 

 

ストレスがたまる

 

まず、見つけられない自分に腹がたって、ストレスがたまるのですが、我慢し続けて、維持していると、その我慢している人への負担はかなり大きくなります。

 

なので、物事が円滑に進んでいるように見えるものでも、実際は、一人や少数の人がかなりの負担をしているケースは多いです。

 

そして、我慢している人たちが我慢体制が強いとは限らないので、いつかストレスが爆発して、倒れたり、そこからいなくなってしまったりします。

 

 

自己犠牲的になる

 

自分を犠牲にして、関係を維持したり、集団を前に進めようとします。

 

その結果、うまくいったとしても、自分は不幸せなままです。

 

その場合も、犠牲になった人が多くを成り立たせているので、その人がいなくなったとたん機能しなくなります。

 

機能しなくなると、周りに人はもともと自分を犠牲にして頑張ってくれた人を責めるようになります。

 

自己犠牲的な人は、自分の手に余ることで他人の力になろうとするので、苦しいですし、それが当たり前だと思われて苦しさが続きます。

 

 

 

改善方法

 

自分の思ったことを書きなぐる

意外なのですが、我慢が当たり前になっているときって、自分が我慢していることに無自覚なんです。気づくのはきつくなった時なんです。

 

なので、できるだけ自分の思ったことを書くことを習慣づけるようにするといいと思います。

 

そうすると、物事に対して、自分がどう思っているかが自覚できるようになります。

 

もし、何かに怒っていて、それを表面上は出さずに生活しているとしたら、それは我慢している証拠です。

 

書くときは、ひたすら思ったことを書くといいです。どちらかというと吐き出すに近い感覚です。

 

注意するのは、頭の中で編集しないようにすること、できるだけ思い描いた通りに、スピーディーに書くのがおすすめです。最初は文章が無茶苦茶かもしれないですが、繰り返していくと文章自体もわかりやすくなっていって、書き出す以外の、普通の会話でもわかりやすく言葉を発せようになります。

 

あとは、したくないことをひたすらに書いていくのもいいです。

 

 

自分に利益のあることを優先する

 

今までは他人を優先してきたと思いますが、一回それはやめてみて、自分を優先させてみましょう。僕たちはボランティアではないので。

 

自分の将来にとって必要な人なのか、スキルが磨かれることなのか、自分の今の体力で参加できるかなどを基準に、自分本位にやることを決めてみてください。

 

自分がその場からハブられるのが嫌で無理して続けている関係なら、一度誘いを断ってみてもいいです。

 

今まで当たり前に参加してきた人が参加しなくて、もういいやと思われたら、それはそれでいいと思います。それまでの関係だったと思うので。

 

時にはわがままになることを覚えて、あえて人の要求から距離を取ることも覚えると楽です。

 

 

小さなことでもやりたいと思ったことをやってみる

 

好きなことと断定しなくていいです。ずっと好きなのってかなり少ないし、偶然見つけるものです。なので急いで好きなものを見つけなくていいと思います。ただ今すぐできて、やりたいと、ふと思ったことを実践してみてください。

 

思考の蓋はかなり硬いし、今まで開けてこなかったので、固まっています。まずはそれを開けられるようにしましょう。

 

どんな小さなことでも、いいので今までやりたいのにやってこなかったことをやってみてください。

 

生きたかった場所に旅行に行くのでもいいし、普段はちょっと高くて食べれないスイーツを食べてみるのでもいいし、本当は行きたいけど流行りに乗るのが嫌で避けていたタピオカ屋さんに行ってみるのもいいです。

 

とにかく自分の欲求を満た練習をしてください。

 

それが満たされたら、もっと大きな好きなことが見つかっていくと思います。

 

マズローの5段階欲求説というものがありますが、生存のために必要な欲求を満たさなければ、さらに上の自分の夢という欲求を満たそうとは思わないです。

 

なので、今まで満たしていなかった小さなことからまずは叶えて、押さえつけていた自分の本音を見つけて、好きなことを自覚してみてください。