えるばブログ

3年前の自分に言いたい人間関係・性格との向き合い方を書くブログ

他者を意識したプライドは捨ててみる

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自立について考えているとよくプライドを捨てるという言葉に出会います

僕自身がプライドの高い人間なので、出会ったときによく考えます

プライドを捨てろと言われますが、納得したい僕はプライドってなんだと思ってしまったりします


また、プライドを捨てるって口で言うのは簡単だけど実際は難しいし、捨てていいプライドとそうではないプライドがあるよなと考えたりもしました


さっきも書いた通り、僕はプライドの高い人間で、そのことで人との関係ではトラブルがありました

また、自信がないのにプライドが高いという謎の状態になったりしました

自分の中でも特に嫌いな部分です

僕はそんな現状を終わらせたい

なのでプライドを捨てるにはどうすればいいかについて解決策まで考えてみました


プライドとは自尊心

最初にプライドについて考えてみます

耳なじみのある言葉の割には、意味を深く考えることが少ないです

僕はサッカーをやっていたのですが、監督にプライドをもってやれと言われたり、サッカー中継では日本のプライドを見せてくれと言っているのを聞いたりします

でもあんまりピンときません


そこでお馴染みWikipediaで調べてみると、こう書いてありました

 

プライド(英語: pride)は誇り、自尊心、自負心を意味する言葉。


これまた、聞いたことあるけど意味はよくわからない言葉です


なので、もう少し深ぼってみると、

誇り みずからそれを名誉とする感情。

自尊心 ありのままの自己を尊重し受け入れる態度

自負心 自分の才能や仕事などに自信を持つこと

うーん、よくわかりません…

プライドだけだと意味がはっきりしませんでした


ですが、僕みたいに「プライドが高い」と言われている場合は、自尊心の意味がしっくりきます

ただそのままではありません

正常な場合の自尊心が「ありのままの自己を尊重し受け入れる態度」であるならば、異常な状態、つまり、「プライドが高い」状態では「ありのまま」という言葉が抜けるのではないでしょうか

つまり「自己を尊重し受け入れる態度」

「ありのまま」よりも自己を尊重する態度が「プライドが高い」状態なんだと思います

 

捨てていいプライドは他者目線のあるプライド

とはいっても、「プライドが高い」=悪いとなるのもどうもしっくりきません

ありのままよりも自己を尊重する態度は、言い換えれば自分を大切にしている状態だと言えるからです


でもプライドは捨てましょうということが言われています

僕はプライドの高さで損したことがあるのでこの意見には賛成なのですが、プライドを深堀すると「自分を大切にしている」状態に行きついたので、すべてのプライドを捨てるという選択肢はあり得ないと考えます

そこで、捨てるべきプライドと残すプライドの2つを分ける必要が出てきます


そうなったとき捨てるべきプライドとはなんなのか?

結論から言ってしまうと、捨てていいのは「他者評価と関係のあるプライド」です


プライドが選択に絡んでくるのは挑戦するときだと思います

特に、自分がやりたいことに挑戦するとき

やりたいことなので、挑戦することが自己の尊重につながるわけです

ただここに「他者評価と関係のあるプライド」が混じると、批判を恐れて「やっぱりやめようかな」と思ってしまうことがあります

この分かれ道が捨てるべきかどうかを判断する基準になるかと思います


どちらも自己を尊重しています

違いは自分の内側を大切にしているか、外からの攻撃から自分を守っているかだと思います


この他者評価と関係のあるプライドを具体的にしてみると、

・嫌われたくない
・失敗を見られたくない

 
少し論に近いものを集めた感はありますが、僕の場合は基本的にはこの2つのプライドを感じることが多いです

見てわかるように明らかに他者の評価が入っています

これらは生きていると邪魔になるし、楽ではないので捨てた方がいいです


ただ、プライドを捨てるって言葉は簡単だけど実際はかなり難易度の高いものだと思います

僕も捨てる努力をしていますが、捨てきれていないのが現状です

 

捨てるには自分の責任で選択する必要があります

なかなか捨てきれないプライドを捨てるにはどうすればいいのか

それは、他者評価から守る必要がないと自分が認識することです


他者評価から守っていたから考えると、理由は自分を弱いと思っていたか、自分は偉い正しいと思っているのかだと考えられます

今まで自分で選択することが少なく、自分で責任を取る機会が少なかったのではないでしょうか

僕はその典型なのですが、進路選びやキャリアに関して、大部分を自分じゃない誰かの意見を取り入れて流されてしまっていました

そのためか、今までの進路は選ばされたという感覚が強いです

結果、進路が失敗だったとしてもどこか他人事ような感じで処理していました


プライドの高い人はこの自分で失敗したと思える回数が少なかったのではないでしょうか

その原因は様々ですが、だいたいはそう思わざるを得なかったからだと思います

なので、100%自分の責任ではないのですが、プライドを捨てるには自分で責任を負っていく必要があります


では、他者評価から守る必要がないと自分が認識するにはどうすればいいか?

原因から考えて解決策は、自分の責任で選択していくことです


自分の選択100%にすると、結果に対しての自分の責任が100%です

そうすると、自分って偉くないなって思うようになって、結果を出すには他者評価から守る必要がないと認識してきます

成功した場合は、自分は自分は弱くなくて、守る必要はないんだなと感がられるようになります


いきなりキャリアとか仕事で実践してもいいのですが、それはまだ怖いというときは、今まで自分で購入したことない必要なものを買ってみるということをオススメします

プライドの高い人は進路だけでなく、生活の中でも人に任せています

僕も長い間、自分が納得しなくても親や友人の言葉を受けて服を買っていたので、服に関してあんまり失敗したなと思うことはなかったです

だけど、自分100%で衣服をチョイスしてみると、自分のセンスがそのまま出ました

僕の衣服の話だと、自分が弱い(センスまったくない)わけではないと認識することができました


最初は衣服や消耗品の選択から始めて、少しずつ重要度の高い選択に持っていければいいと思います

ハードルは高すぎず、低すぎずです

 

他者を意識したプライドは捨ててみる

他者評価を気にしたプライドは捨てる努力をしましょう

ただ捨てると簡単に言っても難しいのが現状です

では捨てるために何をすればいいかというと、自分で納得して選択することです

最初は、日常の何気ない選択から初めて、徐々に人生に関わってくることを自分で選択していくとやりやすいです

僕もまだまだなのでこれから捨てていきます