えるばブログ

3年前の自分に言いたい人間関係・性格との向き合い方を書くブログ

好きなことを仕事にしたのに苦しいってなったときの対応策

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好きなことを仕事にした。だけど苦しくて、もう辞めたいなと思っている人や自分で選んだ進路のはずなのに逃げ出したいという人に読んでほしい記事です。

 

客観的になるために一度離れてみる
手段を変えてみる
人の好きと比較しない
好きなことを仕事にしなければいけない思っていないか
続けてきた=好きじゃない場合


僕の話をすると、大学時代は法律を、社会人1年目はサッカーを、それぞれ仕事にしました。
法律も、サッカーも好きで始めたことです。


でも今は両方辞めました。始めたときは好きだったのに、辞めてしまった。
はっきり言ってしまうと、嫌になったからです。



今思えば、なんでだろうとか、もっと手段があったんじゃないかと思うこともあります。
この記事は、そういった反省と今後に生かすために書く記事です。

 

■客観的になるために一度離れてみる

好きなことだからといって、のめり込みすぎると視界が狭くなって、客観的な判断ができなくなります。
客観的な判断ができないと、誤った選択をしやすいです。



本当は好きなのに、一度のミスや感情で苦しくなっているだけで、本当は好きじゃないと判断するのはもったいない。

そうならないために、少し休んだり、離れてみたりして、対象を客観的に見れるような心を整えてみるのはどうでしょうか。

そうすると、好きじゃなくなったのではなく、キャパオーバーだったり、組織的な問題、お客様の問題、自分の技術不足など別の問題が見つかったりします。



僕が陥りやすいのですが、すぐキャパオーバーになって、その度に、辞めようかなと極端に考えてしまうことがあります。

そういうときは、判断能力が鈍っているので、安易に決断しない方がいいです。

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料理をすることも好きなのですが、たまにめんどくさくなるので、ときどき手を抜いたり、外食したりします

 

■手段を変えてみる

好きなことだったとしても、好きを仕事にする手段が間違っていると苦しくなります。
例えば、サッカーでみてみます。


なぜサッカーが好きな理由
・見る
・プレイする
・教える
・交流が好き

このように手段が色々あります。


この手段が自分の好きと一致していないと、苦しくなります。

特に自分の得意ではなく嫌いな手段を取っていると、好きなことを嫌いな手段で仕事をしているので、全然幸せじゃありません。


また、ひとりでいるのが好きなのに、チームプレイを重視した手段を使っていると苦しくなることがあります。

人には向き不向きがあって、個人が好きな人と、集団で輝く人が両方いるので、今集団で苦しい場合は、ひとりでやるという手段に転向してみるのも手です。



好きなことで苦しい場合は、手段を確認し、嫌なことなら、手段を変えてみるのも手です。

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手段を変えても、ゴールは変わらない

■人の好きと比較しない

好きなことで、仕事を始めると、その道をすでに進んでいる先輩や、キャリアが同じや自分より下でも、自分の好きなことをより深く理解し、上手い人たちがいます。

そういった人たちと自分を比較してしまうと、自信を失って、実はあんまり好きじゃないのかもしれないと思ってしまうかもしれません。


比較しすぎの良くないところは、せっかく好きの芽が出ているのに、自分で積んでしまうことです。


周りの人たちも当然努力してきたのですが、あえてそこは気にせずに、今の自分を信じてあげることが大事です。(抽象的ですが)


■好きなことを仕事にしなければいい

心のどこかで、好きなことで仕事をしたいから、好きなことで仕事をしなければいけないと考えているのではないでしょうか。

もともと好きなことでも、義務感が勝れば、楽しさは半減します。

今の苦しい状態は義務感が大きくなりすぎてしまっているから起こっているのかもしれません。


もし義務感が大きすぎて、苦しいなら、仕事にするのではなく、趣味として好きなことに取り組んでみるのはどうでしょうか。

仕事にするということは、需要のあることをするということ。需要のあることをするということは、時として自分のやりたいことから離れることにもなります。

自分の離れたところで、義務感だけで仕事するのは、きついです。

そうなってしまっているなら、趣味として楽しむという道を作ってもいいのかもしれません。
できそうなら、また仕事にすることを考えればいいので。

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珈琲が好きでも、カフェを開く必要はない

 

■続けてきた=「好き」ではない

最後に好きだと勘違いしてきた場合です。
長年続けてきたからと言って実はあんまり好きじゃないなと思うことがあります。


これこそ義務感でやってきた場合がそうで、僕の場合は、サッカーがそうでした。



小学校1年生から高校まで、大学ではフットサルサークルに入っていた僕は、サッカーが好きだと思っていたんですが、続けること自体が上述の義務感で続けているだけで、そこまで好きじゃないと気づきました。

なぜ気づいたかというと、一度サッカーから完全に離れてみたからです。
具体的には、サッカーもしないし、サッカーに関するニュースや情報も見ずに、生活してみました。

そしたら別にサッカーのこと考えなくてもいいなと思い始めたんです。
むしろ、心が軽くなった感じさえありました。



僕にとってサッカーは、人と交流する手段だっただけで、歳を重ねてその手段が増えたため、固執する必要がなくなったんだと思います。

もし好きだと思っても、案外長年続けてきたから、好きでいようと思っているだけかもしれません。

〇もったいないと思うことも

とはいっても、長年続けてきたことを辞めるのはもったいないと思うかもしれません。
でも、それを続けると損害が意外が大きくなる可能性も出てきます。

これをサンクコストと言います。
続けて被害を大きくするよりも、いまの損害にとどめた方が、別のことに使える時間やお金は多くなります。

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憧れで買ったけど未使用になった手帳カバー(3万円)。もったいないけど、使いづらさからくるストレスの方が損害が大きいと判断しました。

 

■辞める前に苦しさの原因を考えてみる

辞めてしまった僕が言うのもなんですが、辞める前に原因を客観的に考えられるといいです。(僕も考えられればよかった)

もしかしたら苦しさを抜けて、対象をより好きになるかもしれないし、逆に別の好きなことが見つかるかもしれません。

また、たまに周りから好きなことの割にはレベル低いとか、俺のほうが詳しいぜみたいな人に出会いますが、いっていることをあまり気にしないで無視か、参考程度に留めておくといいです。