「気にするな」って言われたときの改善策
昔から、細かいことに気になってしまいます
それを周りの人に話すと「気にしすぎ」「もっと鈍感に!」という解決策を提示されました
だけど、それって何の解決にもなっていないし、テキトーなアドバイスだなと思いました
そこで気が付いたのは、他の人(僕が相談した相手)は、そもそも僕が気にしていることが全く気になっていないということです
相談相手が悪いのではなく、同じ問題を解決したことのない人に相談すること自体おかしかった自分のミスです
そう気づいてから、解決策は自分で探すことにしました
結果として、「気にしすぎ」への改善は順調だと思います
この記事では、僕の「気にしすぎ」への改善策を書きます
■方法1 気になっていない人の真似をする
気になってしまうへの改善策は2つあります
ひとつは、気になっていない人の真似をして鈍感になるです
自分が気になってしょうがないことでも、まったく気づかずに過ごしている人を探してその人の真似をすることで、気にしないことに慣れていく方法です
大雑把に仕事をしたら怒られた、自分のミスで多くの人に迷惑をかけたなど過去のショックな出来事がきっかけで、後天的に細かいことを気にしてしまう人にはこちらが効果的です
なぜなら、もともと細かいことを気にしない人の本来の姿だからです
細かさを気にする姿は、ミスしちゃいけないなど外部の圧力から逃れるための手段として作り出された姿であり、その人本来の姿を失ってしまっている状態だと思います
その本来の姿に戻す方法として、荒療治っぽいですが、真似をするという手段を使います
■方法2 気になることを突き詰める
改善策を模索する中で、こう思いました
そもそも「気にしすぎ」って本当にダメなことだろうか?
最初は「気にしすぎ」て苦しかったので、人の相談したり、改善策を模索しているけれど、考えれば考えるほど「気にしすぎ」の何が問題なのかわからなくなりました
そこで一度「気にしすぎ」改善策探しはストップすることにして、何が問題なのか、何が自分を苦しめているのかということを考えてみました
その過程でいくつか気づきがありました
それは「気にしすぎ」自体はそこまで問題じゃないということ
僕はキッチンや床の汚れなどがすごく気になります
他人からみて潔癖と思われることかもしれないけど、特に自分で苦しさみたいなものは感じません
なので、清潔にしたいが故の「気にしすぎ」は自分にとっては問題ではないというです
では、僕にとって「気にしすぎ」て苦しくなる場のはどんなときか?
それは、「気にしすぎ」続けた時です
汚れなどすぐに「気になる」ことが改善されることは問題ではなく、仕事や勉強などすぐには解決できないことを、中途半端にしたまま別のことをしてしまうときに自分は苦しくなります
人は思考し続ける生き物で、無意識のうちに万単位の思考をしています
脳科学に詳しくありませんが、万単位の思考を可能にしているのは、人間が思考と同じくらい、忘れることが出来るからです
でも気にしすぎる人は気になっていることを忘れることが苦手だと思うんです
本来なら、簡単に忘れられることでも、「気にしすぎ」る人は気になったことを解決しないと忘れられない
忘れらないから、思考がどんどん溜まって苦しくなるんだと思います
気になりすぎて苦しい時、頭が重くなったり、痛くなったりするのはそのせいだと思います
そうなると、改善策は気になったことを突き詰めるになります
気になることがたまって苦しくなるなら、気になる度に納得できるまで突き詰めるしかないです
そうすると、安心して忘れられるようになり、苦しさはなくなります
でもこの改善策には時間がいくらあっても足りないという問題点があります
その問題を解決するために、自分にとってやるべきことを絞ったり、メリハリをつけた生活が必要になります
なので、改善策をさらに掘り下げると、気になったことを突き詰められる環境を整えるということになります
気になったことを突き詰められる環境は、「気にしすぎる人」の個性を生かした環境の一つだと思います
■「気にしすぎ」という言葉を気にしない
いろいろ書きましたが、一番の改善策は「気にしすぎ」という言葉を気にしないことです
気にしすぎる人が気にしない人が分からないように、気にしない人は気にしすぎる人が分かりません
そんな当たり前に気づくことができれば、「気にしすぎ」問題の改善はイージーになります