完璧なんて自分が勝手に決めていること。自己満足を知ってあとはサボる
僕は実家に住んでいて、割と家事に参加します
家事の一つとして洗濯物を畳むのですが、店頭の並ぶ洋服を意識してきれいに畳むように心がけています
そのためか、他の人がやったときに綺麗に畳まれてないとイライラしてしまいます
それって、他のことでもそうで「自分はこんなに綺麗にやっているのに」とか「もっと丁寧にやれるにやらない」って思ったりしていました
それって完璧主義の典型だと思うのですが、僕もそうで、本人は気づいているけど直せなかったりします
それでも今はイライラすることが圧倒的に減りました
それは、完璧って自分で勝手に決めているだけだと気づいたのと、自己満足でやればいいやと思うことができたからです
そう思って完璧を意識せずに、サボることができるようになってからイライラすることも減りました
■完璧はあくまで自分の基準
僕はもともと完璧主義で、何事もきっちりやらなければいけないと思っていました
そして、自分が思うしっかりができない人にイライラしていました
その時の僕は「しっかりしないと、やったうちに入らない」と思っていたし、「自分がちゃんとやっているんだから、他の人にもそれぐらいやってほしい」と思っていました
なかなか傲慢です
でも自分が完璧にやりすぎていることに気づきます
ですが、じゃあどれぐらいまでやればいいのと思って結局0か100でしか考えられず0でも100でもない中間をやることに納得ができませんでした
そのときに、ネットの記事で広瀬アリスさんが完璧って自分で思っているだけだということを言っていて納得することができました
当たり前かもしれません
だけど、当時の僕にとっては意外な意見だったんです
それから、自分で思っている手を抜いても大丈夫だと気づきました
最初は手を抜くと言ってもどこまでやっていいのか分からなかったので、とりあえず自分の中で一番手を抜いているなという基準を設けて実行してみました
洗濯で言うと、今までは座ってお店くらいのつもりで畳んでいたんですが、立って四角にすることだけを考えて畳んでみましたも
それでも家族から文句も言われなかったので、自分が思っているよりだいぶ下げても大丈夫だと安心感がでてきて、他のことでも同じように手抜きできるようになりました
そしてなにより良かったのが、完璧を辞めたことで「これって本当に必要なの?」と自分を疑うことができるようになりました
■内的モチベーションで動くと自分の満足のラインがわかる
洗濯の例ですが、僕は店を完璧として、自分の満足までレベルを落とすことができました
満足と完璧って一緒じゃんと考えるかもしれません
僕も満足って結局は完璧のことだと考えることあります
心理学者の方に自分の完璧主義について相談したことがあるのですが、「アスリートとか芸術家は完璧主義の人が多いよ」と言っていました
アスリートや芸術家の方は細部にこだわりこだわって限界まで粘って成績を出していくので、そうなるらしいです
僕はそれを聞いたとき「自分は芸術家タイプなんだ」と自分を誇らしく思いました
ただよくよく考えてみると、僕って別に成績のためとか、良いものをやりたいという気持ちで完璧を目指していないなと思いました(そういうときもなくないですが)
洗濯の成績を良くしたいと思ったことはないので
じゃあなんで完璧にやろうとしていたかというと、褒めてほしかったからだと思うんです
完璧主義には2種類の人がいます
内的モチベーションで完璧を目指す人かか、外的モチベーションで完璧を目指す人かです
心理学なのですが、内的モチベーションで動く人は自分がこうしたいやってみたいという気持ちから完璧を目指すします
一方外的モチベーションで動く人は義務感や承認欲求のために完璧を目指しています
少なくとも僕は義務感や承認欲求で動いていました
自分よりも人からの目を気にして完璧を目指していると、自分がどうしたいかとは別で動いているので自分の満足がどこにあるのか分からず、人の満足というわからないゴールをずっと目指すことになります
暗闇です
逆に内的モチベーションで動く、どうでもいいことは割と「これぐらいでいいでしょ」と言って低いラインで満足できたりします
僕は長い間、外的モチベーションで動いていましたが、内的モチベーションで動いた方が楽だし、楽しいです
■サボっても世界は回る
これは実感なのですが、サボっても案外世界は回ります
自分達で勝手に限界を決めてしまっているように、自分たちで勝手に完璧を決めてしまっているだけです
サボっていても回るということは、それで十分だからということです
※自分がサボることで十分に満たず、結果他の人がその穴埋めをしているのは十分ではありません
なので、好きでやっているものはいいですが、義務感でやっているものを圧倒的にさぼってみてください
これは自分の罪悪感が刺激されるくらいやってみるといいです
挑戦と同じでサボるのにも勇気が必要ですが、挑戦と同じでやってみると案外こんなもんなんだと思ったりします
サボるというのはエネルギー配分を変えるということ、義務感でやっていたものを辞めると、そこに使っていたエネルギーを他に回せます
そこでようやく自分のやりたいことに目を向けられます
エネルギーの断捨離です
■サボろう
僕の好きな小説に主人公が「やらなくていいことはやらない、やらなければいけないことは手短に」と言っている人がいます
この主人公は結局やってしまうのですが、僕たちはやらなくていいことをやってしまうことはあるし、やらなければいけないことをちゃんとやろうとしてしてしまいがち
そうじゃなくて、やりたいことは本来はあるはずなので、やらない、手短にやる、さぼることを考えてもいいと思います
そして、やるときに人のためにやろうと考えずに自己満足であることを忘れないで行きましょう
自己満足が分かれば自分の幸せが分かります