完璧主義の僕が完璧じゃなくても挑戦できるようになったのはひたすらハードルを下げたから
「挑戦をしろ」「とりあえずやってみろ」と学校や職場で言われ続けてきた
でもこれは外からの言葉で、自分に置き換えてみると急に足がすくんで怖かったりする
もちろん言い分としては正しくて、何を始めるにしても最初は挑戦だ
もともと足がすくんで、失敗しない保険として、調べたりすることで時間稼ぎをしてきたけど、そうじゃなくてとりあえずはじめてみることにしている
完璧主義の僕にとっては葛藤も多かったけど、この方法は僕にとってかなり有効だった
どのような方法、マインドセットを行ったら、挑戦できない自分でも最初の一歩を踏み出すことができたのか
ちなみに僕はこのブログとTwitterと相談業を始めることができた
まだまだだけど、とりあえず始めることができたという事実は自分にとって大きな一歩だ
■減除維持もまた挑戦
「挑戦しろ」という圧をかけられていた時代はそもそも挑戦する意味なんてないとさえ思っていた
そのときは心が限界を迎えていたし、前に進むことに恐怖心しかなかった
落ち着いた今になってもう一度考えてみると、挑戦は必要だと断言できる
断言するにあたって、挑戦とは何かについて考えた
考えてみると、挑戦を美化しすぎていて、それが挑戦できない原因の一つになっているのでないかと思う
挑戦は難しいことに挑むのでなく、戦いに挑むこと
戦いは常に自分のフィールドでやる
格闘技でも階級の違う人たちとは戦わない
挑戦における戦いは常に自分だということをわすれずに行きたい
挑戦とは自分にとって初めてのことをやることだと思う
新しいことは不満をなくすこと、楽しいことをやること、継続することなど新しいことすべてにあてはまる
そういう意味では現状維持も挑戦かもしれない
そこまで考えても、挑戦というのはハードルが高い
どうすれば、はじめの一歩を踏み出せるのか
■一人で匿名で始める
僕にとって一番のハードルは人に見られることだった
新しいことをやると、周りから「何やっているの」言われることが多く、それが嫌だった
なので、解決策としてまずは誰にも言わずに始めることにした
自分だけの世界に閉じこもっている感じもあるが、まずは自分がやっている感じを出したくなかった
誰にも相談しなかったけど、これでかなりハードルが下がった
誰も見ていないことはストレスを1つ減らしてくれた
でも何かを始めるということは、誰かの目には必ず入る
そして、誰かの目があったほうが継続できる
自己マネジメントに徹するより簡単だと思った
それでも、自分がやっている感じと出したくなかったので、匿名でやることにした
このブログも、Twitterも匿名でやっている
素顔と本名を出すことに何を恥ずかしがっているのという意見もあります
周りの目を意識してできないことを攻撃する言葉ですが、僕は気にしなくていいと思う
まずは初めて見ることが大事だと思う
そのハードルは下げておいた方がいい
もし、恥ずかしさがなくなったり、本名や素顔でやりたいと思ったら、そのときにさらせばいい
■誰にでも初心者時代はあった
情報が簡単に手に入る時代は先輩を簡単に見つけられる時代でもある
職場や学校だけでなく、インターネットの世界に先輩は必ずいて、それに憧れた部分もあると思う
そうなると、正解というか、理想形がそんな先輩たちによってしまう
僕はそんな先輩たちに劣る自分を周りに見せたくなくて、クオリティを上げてから発信しようと思ったりもして、始めるまでに時間がかかることがあった
だけど、そのやり方だと、いつまでも始められない
それでも先輩たちは先に進むのでクオリティの差は埋まらないことに気づいた
やるならちゃんとしたものを出したいと思うかもしれない
さらに言うとちゃんとしなければやってはいけないとさえ思っているかもしれない
挑戦のハードルを上げているのはそこかもしれない
まず、はっきりと認識したいのは、先輩たちもまた初心者の時代があったということ
例えば、今や知らない人のいないユーチューバーのヒカキンさんもそうだ
今の彼の動画は画質はきれいだし、見ている人が喜ぶような動画になっている
だけど、ヒカキンさんの初めの頃の動画を見ると、すごいボイスパーカッションをやってはいるが、暗い場所で、決して良くない画質の動画を配信していたりする
あのヒカキンさんでさえ最初の動画はこんな感じ
YouTubeはそういった誰でも知っている存在の誰も知らなかった時代を見ることができる貴重なコンテンツだからわかりやすい
他の場所で有名な人の初心者時代を見ることは難しいけど、みんなだいたい初心者時代があった
それを忘れないでおくと自分のハードルは下がった
■分解してみると一歩が小さくなって始めやすい
今の時代に右クリックという概念を生み出したプログラマーの中島聡さんの著書の中に、彼がかつて務めていたマイクロソフトのトップであるビル・ゲイツに関する武勇伝がいくつか書かれている
その中で、マイクロソフトとクライアントがもめたときのビル・ゲイツの解決の仕方について書かれている分がある
マイクロソフトにクライアントからソフトについて苦情が来た
ソフトの不具合はIT企業にとって信用にかかわる
本来ならソフトの修正にのみ力をいれるところだが、ビル・ゲイツは問題を分解して考えてクライアントの苦情の原因はソフトの不具合だけでなく、担当者との性格の不一致の問題に分け、担当者を変更して対処した
そうしたところ、クライアントは落ち着いたという
何かを始めるとき絶対に自分にとって障害はある
だけど、それを大きなひとつとしてとらえるのではなく、物事を細分化してできる範囲にまで小さくすると、本当の問題が分かったりする
例えばブログを書くとなったときの僕は、ブログそれ自体を始めることに躊躇した
ブログを始めること自体を障害だと思ったからだ
だけど、分解して考えてみると何に障害を感じているのかわかった
ブログを分解して考えると(初めてもいないとき)
・内容
・文章
・サイト構築
この3つの要素があると思った
そしてそのうち、内容に障害を感じていることがわかった(特にどのような内容にすればいいのか)
それで僕は、最初何でもいいから自分に掛けることを書いてみることにした
そうしたら、もう始めてしまったので勝手に1歩踏み出していた
ブログという大きな障害でなく、ブログの内容というところまで分解することで、生涯は小さくなり、容易に障害を乗り越えられた
分解を続けていくと、今から何を始めればいいかまで見えてくる
■失敗について
失敗は誰でも怖い
その失敗を避けるために、いろいろ準備する
だけど、踏み込めないときってやっていないことでも調べていくうちにこれも必要、あれも必要ってなってスタートが遅れたりする
それが悪いことかというとそうではなくて、成功率を上げるために調べて、思考することは重要だと思う
特に僕はストレングスファインダーという、自己診断ツールで「慎重さ」が出るくらいなのでその傾向には賛成だ
だけど、慎重すぎると、一生は自慢ないと思うことがある
かつて、自分の夢を持っている人たちに囲まれていた時は、夢のない自分に自信が持てなくて、全然一歩踏み出せなかった
過去自分が言うことを聞くとは思えないけど、その僕に何か言うとしたら、「失敗しても大丈夫」という
なぜ失敗を恐れてしまうのか
それは失うと思っているからだ
では何を失うのが怖かったのか、
それは、プライドだったりする
プロスペクト理論というものが、あって簡単に言うと人は得ることよりも損をすることを回避するという話だ
そう、人は誰でも損することを嫌う
ではどんな損しているのか
このとき周りからの目は含まないが、それ以外でも、
時間とお金を失う
では逆に失敗することで得られるものはあるか
それは経験値だと思う
ブログの例を使うと、仮にブログを続けることが困難になることを失敗とした場合、たしかにブログそれ自体では失敗だけど
ブログを書く過程で、調べたり、試したりしたことはすべて自分の経験として蓄積される
得である
また新しいことを始めるときに0スタートじゃない
もちろん失敗が得となるのは本気でやったときだと思う(僕の好きな漫画『宇宙兄弟』より)
■最初の一歩はハードルを下げることで乗り越える
挑戦することができなかった僕が、何かを始めるにあたって自分で心掛けていることを書いてみた
自分で言うのもなんだが、一歩踏み出したことを褒めてあげたい
問題を分解するの応用で、物事に対して、成果と最初の一歩を踏み出すことは別個の問題だと思う
一歩踏み出してもそれで成果が出るわけではないけど、成果は一歩目がないと絶対にでない
これを書いている僕もそういった心構えを継続していきたい