ヤンキーがたまに良いことするより、いつも良いことしている方がやっぱりえらい
昔から、やんちゃな人が更生して、大人になってから真面目になったり、ヤンキーが、捨て猫を助けると、実は優しい人と評価が上がったりするのが一種の定番となってきました。
ヤンキーだろうが、昔やんちゃしてようが、今現在誰かにとって大切な人間であることは特に否定しないのですが、そういう人たちをもてはやしすぎていないだろうか?
彼らが現在どうであろうと、過去においては迷惑を被っていた人が大勢いるわけだし、若気の至りとはいえ、人を傷つけるような言動をとっていたのに、
別に、過去がどうだから今おとなしくしていろとか、もてはやされるのがおかしいとは言うわけではないです。彼らが頑張った結果に変わりはないのだから。
確かに、やんちゃだった人が、良い人間になっていくっていうのは、ストーリーとして面白さがあって、共感を呼ぶかもしれない。映画や漫画で高低差のないものは少ないし。
ただ、もっと褒められるべき人はいるだろう。
それは当然、長い間同じように良い行いをしてきた人たちだ。
彼らはえらい。
単純に継続してきたのがすごい。当たり前に良いことをして、当たり前みたいに頑張ってきた。
自分のことには当然一生懸命だし、他人のことになったとしても快く手を差し伸べてくれた。
みんなが嫌がるようなことは率先してやってくれるし、みんながやりたいことを譲ってくれたりもした。
確かに、客観的に見ると劇的に見えるわけでもないし、見ていて面白いものではないかもしれない。人は劇的なものに目を奪われがちだから。
だけど、劇的じゃないからこそ、人生の中で緩やかながら、その結果まで到達した人こそほめたたえられるべき人たちなんじゃないでしょうか。
なにより、更生した人が褒められていることって、真面目に生きてきた人が当たり前にやっていることです。
なんで、同じ結果なのに劇的に変化した人の方がもてはやされるのか。
結局はギャップなのか。
真面目に生きていると、なぜか当たり前のハードルが高くなっていて、それを飛んでもあたりまえ。
だけど構成した人は当たり前のハードルが低いので、飛び越えらえるだけ称賛される。
真面目に生きてきた人がちょっとミスったり、悪いことをするとめちゃくちゃたたかれる。清純派で売っている女優さんやアイドルがタバコ吸ったり、スキャンダルを起こしたときによくみます。
このブログを書いているときに、少し調べたら、心理学にゲインロス効果という最初にマイナスの印象を与えておいてから、後でプラスの印象を与えると、より大きな好印象を与えることができるというもがありました。
人間の心理って生存のために必要なものが影響していると思うので、仕方がないのかな
僕は、主人公たちが苦難を乗り越えて、最終回を訪れ、ハッピーエンドみたいな話も好きだが、終わらない日常を描いている漫画も大好きだ。
そんな日常系みたいな人たちが人に良いことをした分だけど幸せをかみしめてほしい。
僕はそういう人たちを見逃さないで、誰よりもその人たちに感謝できる人でありたい。