えるばブログ

3年前の自分に言いたい人間関係・性格との向き合い方を書くブログ

「期待」という言葉について思うこと

「君には期待している」「期待に応えってくれ」「期待を裏切った」「期待できない」

今まで生きて生きた中で誰もが一度は言われて言われたことがあるのではないでしょうか。

 

良い意味でも、ある意味でも、他者に何かを求めているときに使わていますが、この「期待」という言葉について違和感を覚えたので書き残しておきたいと思います。

 

期待(きたい、英:expectation)とは、何らかのことが実現するだろう、と望みつつ待つこと。また、当てにして待つこと

 

Wikipediaだとこのように説明されています。

自分ではなく、それ以外の人や外的要因に結果をゆだねているという感じですかね。

 

結構日常で気軽に使われているのはこの意味とほぼ同じ意味だと思いますが、使っている側がどれだけ言葉の意味を意識し使っているのだろうか、その言葉を言われた人が、どのように受け取るのかを分かって使っているのかをあまり考えて使われていないなと思います。

 

僕の大好きな小説のひとつ、米澤穂信先生の「古典部シリーズ」に登場する福部里志は作中で「期待っていうのは、あきらめから出る言葉なんだよ。そうせざるをえないどうしようもなさがないよ空々しいよ」と、自分ではどうしようもないので、他者に任せるしかないという、諦めの気持ちで含まれていると思います。

 

このセリフを見たときは、福部里志の心情を読み取ることができるので、共感を呼ぶ部分だと思います。

 

 

期待って実は支配的

 

一方、普段僕たちの周りで使われている「期待」っていう言葉がこんな思いで発せられていることはほとんどないですよね。

 

僕はこの言葉を言われたときに、あまり気分がよくなかったんです。

 

なぜかというと、その人の望むようなことをやらなくちゃいけないのかと思ってしまったからなんです。

 

特にその言葉を言った人が、自分の考えを人に押し付けてくるタイプの人だからかもしれませんが、言われたときに自分の思い通りになれと言われているみたいで、気持ち悪かったです。

 

別の言葉ですが、「信頼」という言葉に比べて、人が自分の思い通りに動いてほしい。というエゴ見たいものを感じました。

 

そのときに思ったのが「期待」って支配的だなということです。

 

相手にいうことを聞いてほしい時、思い通りにしたいときに使われているのではないでしょうか。

 

特に自分の上司や親から言われているときがこの意味なんじゃないかなと思います。

 

また、同じ上司が「期待」を使う場合でも、部下のやる気を引き出すために使う場面もあるかと思います。

 

僕はこの意味でも使われたこともあって、その時に頑張ろうと思わなかったのですが、これを尊敬する人から言われるとやる気を出す人もいるかと思います。

 

なので、時には「期待してるよ」って言葉を使うのは効果的なのかもしれません。

 

僕は自分がリーダーの立場になったときにこの言葉を使わなかったのですが、人見て使わなければいけないのかなと思います。この言葉でテンションが上がるタイプの人もいれば、めんどくさいなと思うタイプの人もいると思うので。

 

無言の「期待」

 

前半は自分が言われた時のことを書きましたが、実は自分でもよくない期待している時があります。

 

僕は言葉で伝えるのがあまり得意ではなく、めんどくさくなって伝えなかったり、言葉足らずになったりしてしまうことがあります。

 

この時ってよく考えると、何も言わなくても相手ならわかってくれる。伝え忘れたけど、多分やってくれるだろうと、言ってはいませんが、相手に「期待」している心理が働いていますよね。

 

高圧的に相手に「期待している」と伝えるのは嫌いなのですが、何も伝えずに勝手に相手に期待しているほうがタチが悪いなと自分で思っています。

 

なぜ、相手に対して勝手に期待してしまうのか僕の場合は2つの理由が考えられます。

 

自分が先回りしてやってしまうから

 

昔から、勝手に相手に気を使って、相手の求めているものを言動から考察して、先にやってしまおうと考えるタイプでした。

 

僕はそれをしなくて気を使えないやつだと思われるのを恐れていたので、何も言われなくてもそのような行動をとることが当たり前になっていました。

 

自分が当たり前に出来ることって、他の人も当たり前にできるものだと思っていた当時の僕は、ついつい態度や行動を大げさにやって、みて察してくれと思っていました。

 

僕の態度や行動がどれくらいわかりやすいものだったかはわかりませんが、自分が思っているよりも、相手には伝わらないものです。当然伝わるはずもありません。

 

何も言っていないにもかかわらず、察してもらえず、やってもらえないと、イライラしてしまいまいました。

 

さすがなんでやってくれないのと言ったことはありませんが、当時の自分は自分は何も言われなくてもやっているのに、他の人はやらないのと思っていました。

 

相手の反応が怖いから

 

これも自分の悪いところなのですが、自分が何か言って、帰ってくる反応が良くないんじゃないかと怖くなって、相手に何も言わずに、なんとかやってくれないかなと思って相手に委ねてしまうことがあります。

 

僕は断られることや否定されることを極端に恐れているところがあります。

 

なので、自分が言って傷つきたくないなと思ってしまって、自分の思いを相手に伝えることを怠ってしまっていました。

 

多分断られることに慣れていなかったんですね。

 

2つの理由を改めてみると、僕は自分が期待することを、自分がやってもらうのは当たり前だと思っているところがあるのかもしれません。

 

自分の中でこれくらいならやってもらえるという「期待」があって、その基準を下回ると、期待通りではないので、相手にイライラしてしまうのかもしれません。

 

なので、イライラしない、人間関係を円滑にするためにも、基本的には相手に期待しないと言う考え方をするほうが楽です。

 

僕は相手に期待する癖がついているので、意識的に「他人に期待するな」と言い聞かせています。

 

また、自分の思っていることを言葉で伝えていかなければなりません。

 

これも僕は今まで怖くて苦手にしてきたものなので、ただ言葉で伝えると言っても難しいです。

 

なのでまずは僕の本当に信頼できる人に対してちゃんと言葉で伝えるようにして自分を慣れさせています。

 

良い意味での「期待」

今まで「期待」って言葉の悪い部分を書いてきましたが、当然良い部分があると思います。それは「期待を上回る」時です。

 

下回るとがっかりされて、期待通りだと当たり前だと思われますが、上回るとそれは相手を感動させることができます。

 

仕事で上司に言われたこと以上のことができれば評価されます。

 

スポーツの感動は、期待を上回ったぶんだけ大きくなります。

 

漫画は読者の期待を上回ると面白いと言われます。

 

「期待」っていうのは相手の基準に左右されるので、これをやれば期待を上回るというものはないのですが、このように人々に良い影響をもたらすのもまた、「期待」だと思います。

 

なので「期待」は良い意味でも、悪い意味でも裏切るものだというスタンスでいると楽だと思います。

良い意味で裏切る時は、ハードルが高くなるので大変だと思いますが、モチベーションが上がるときもあります。

 

最後に

「期待」というのは、使う人によって意味合いが違ってくる言葉です。

でもだいたいの意味は相手に自分の思い通りに動いて欲しいというエゴです。

使っている人も、使われた人も「これは言った人間のエゴ」なんだなと認識してみるといいのではないでしょうか。

そうすると、イライラが少しは軽減していくと思います。

僕は、何かを期待してやってもらえることが当たり前ではないと気づいてから、イライラすることは少なくなったし、やってもらった時に、自分の周りの人への感謝が自然と芽生えてくるようになりました。

全てを捨てる必要はないと思いますが、人間関係を悩ませる「期待」を無くしてみる努力を始めるのはいかがでしょうか?