えるばブログ

3年前の自分に言いたい人間関係・性格との向き合い方を書くブログ

どうすれば自分を出すことができるのかわからない

昨日は過去に自分を出すことができずに失敗てしまった経験を書きました。今日は少しこの性格について分析しながらどうすれば、失敗しないかを考えていきたいと思います。

 

自分をさらけ出す、もしくは本音とは

そもそも本音や自分をさらけ出すとはなんなのか。ただたんにストレートな物言いをしたとしても、それが本心ではない可能性があることは自分がよく知っています。

まず本音であろうと、そうでなかろうと少なくとも言葉や行動によって他者に発信されています。

思うに本音とは自分の心の中で思ったこと、感じたことを発信者の意図通りに他者に表現されたことをいうのかもしれません。しかもこれを誰に対しても、どんな場面でも出せるということだと思います。

また、さらけ出すとよくセットで使われるのは、弱点や自分が恥ずかしいと思っていることですね。

つまり弱み=自分であり、自分が出せていないという人は自分の弱い部分は他人に見せていない。と思っているのかもしれません。

 

自分をさらけ出すことができないとは

まず、「自分をさらけ出すことができない」とはどういう状態なのか。僕個人はさらけ出せていないと状態とは自分の本来発信したい言動を相手に対して隠している状態なのかなと思います。

本当は言いたいこと、見せたいものがあるのに相手に遠慮して自分の意見を言わなかったり、笑顔を取り繕ったり、本来言いたいことを言うと、角が立ってしまうと思い、遠回しな表現をしたり、オブラートに包んで発言する自分の趣味を教えなかったりすることが「自分をさらけ出すことができない」状態だと思います。

そして、自分の発信したいことと実際に言動の差が大きければ大きいほど自分をさらけ出していないなと思ってしまいます。

また、自分の弱い部分を外では見せられないことも自分をさらけ出せない状態と言える。

 

自分をさらけ出せないと起こること

 

自分をさらけだせない、本音を隠していると単純に自分にストレスがかかります。このストレスは、本音をさらけ出せない結果自分にかかる物理的な負担と、自分に対して嘘をついた、本音はそうじゃないのにと後悔することによっておこる心理的な負担のことです。一気に別の種類のストレスがかかるのでかなりの負担になります。

物理的な負担は、例えば労働や作業になりますが、自分が本当はやりたくないことやもっと効率的にできることがあるのにも関わらず無駄な労力を使って体力的にも消耗するし、体力を回復できなければそれがたまりにたまって、さらに悪い結果につながる負のスパイラルに陥ります。

また、一度本音が言えずにいるとまわりから、それができる人だと勘違いされたり、心無い人から何でも言うことを聞くカモとして扱われる危険があります。最初はほんの小さなことでも、常態化して、その都度不満がたまっていくと、いつしか抱えきれない錘になり、何もできなくなったり、爆発してしまうかもしれません。

心理的な負担は、自分に嘘をついたな、また言えなかったなと思ってしまっている時点で心が傷ついてしまっている状態です。

また、弱い部分を見せない状態の時は相手に対して自分の良い部分のみをみせたり、自分の弱い部分を隠すための嘘や自分を大きく見せたりするので、自分への負担は大きいし、人からみてもあまり魅力的には映りません。

弱い自分を出せないでいると、相手にとっては信頼されていないと思われてもおかしくないし、自分にとっても相手を信頼するチャンスは巡ってこない。この弱い自分を隠すために演じた自分を他人はその人自身の考えやキャラクターと捉えるので、そのキャラクターや考えに合った接し方をされるかもしれません。

僕の好きな小説のキャラクターが「間違いを訂正しないのは嘘をついているのと同じだよ」と言っていたが、それが自分の本音ではないといくら思ったとしても、相手に言わなければ、相手に嘘をついているのと同じなんですね。

この嘘をついた状態が長ければ長いほど本人を苦しめ、相手に不誠実であるといえます。

 

プライドが不安を生み出している

自分をさらけ出せない人が、その瞬間に感じているのは恐怖です。

自分の考えが受け入れられなかったらどうしよう。馬鹿にされたらどうしよう。これが原因で孤立したらどうしよう。などです。

この不安の正体はなんなのか。それはプライドだと考えています。自信ではなくプライドです。自信とは自分のやってきたことへの素直な感想です。それに対してプライドとは他者との比較によって生まれるものであると思っています。さらに不安になるときっていうのは大抵自分を守るために築き上げたプライドが脅かされるときに感じるものだと思います。

本来ならこのプライドはいらないはずなのに、どうして生まれてくるのでしょうか。

それは自分に自信がないからではないでしょうか。今の自分では認められるはずがない。劣っている。そういう自分を隠すしてやり過ごすためにプライドが生まれるのではないでしょうか。完璧主義と言えるかもしれません。

自分のダメな部分を見られることが、他者からの評価を下げることになるのではないか、その結果自分は傷ついてしまうのではないかとおびえて生活しています。

自分に自信がある人ってむしろプライドがあんまりないように見えますし、どこにいても自然体で、自分が間違っているということを素直に認められているような気がします。

僕も含めて自分に自信のない人ほど、プライドが高く、自分の間違いよりも人の間違いに敏感に反応してしまいますし、本音を出していないような気がします。

こういう人は完全に弱みを見せられる家族には自信があるように見えますよね。いわゆる内弁慶というやつですね。

 

どうすればプライドを捨て、自分を出すことができるのか

1 自分を認める

よく聞くのがどんな自分自身も認めるということです。いままで嫌だった自分自身を認め、好きになるということです。

具体的な方法はまず、自分の嫌な部分を紙に書くなどして可視化して、それをフラットな状態やどういうときに嫌なのかを言い表す。フラットな状態を表すことができたら次は、その部分を持っていることのメリットや良い部分を書いてみましょう。

【例】

嫌な部分  しゃべるのが苦手

どんなときにしゃべるのが苦手なのか  複数人の前でしゃべるのが苦手

良い部分  1対1でしゃべることはできる

      自分の好きなことならしゃべれる

 

嫌な部分  ネガティブ

フラット 思慮深く考える

良い部分  リターンだけでなく、リスクをしっかり見ている

 

こんなかんじで苦手だと思っていたことでも、自分にもできることはあるんだ、良い部分と悪い部分は表裏一体なんだということ認識して、すこしずつ素の自分を認めていくと良いと思います。そうすると、自分が苦手なことでも、これはできないけど、これはできると自分の自信になったり、人からのお願いを断わることができるようになります。

 

2 自分をさらけ出せる場所にいる

僕はすべての責任が自分にあるとは思えないタイプなので、少なくとも半分は他人や環境のせいにしちゃいます。自分の本音をさらけ出せなく原因は今まで育った環境要因が少なからずあると思っているからです。

いつまでも自分の本音が出せない場所にとどまる必要はないと思うので、自分がさらけ出せる場所やさらけ出しやすい場所をみつけてその場所で思う存分自分を表現しましょう。

そしてその場所で、自分に合った努力をすればいいと思います。そうすれば自信もついて、前にいた場所でもまた違った自分が出せるようになるのではないでしょうか。

場所というのは、教育現場や趣味、暮らす場所などですね。未成年だと難しくて、ひきこもりになると思うのですが、ひとりになることも立派な環境の変化だと思うので、本当に嫌だったらそういう手を使ってもいいかもしれないとも思っています。

 

3 人は他人と比較してしまう生き物だと思う

他人と比較するなとはよく言われていることですが、いきなり比較するなと言われも難しいです。しかも比較しないようにすればするほど他人を意識してしまい、元よりもひどい状態になってしまうかもしれません。

なので僕の場合は、人は他人と比較してしまうものだと認識することにしました。そうすると意外と楽で、逆に比較する気持ちが薄れてしま来た気がします。いきなり比較しないのは難しいので、最初の低いハードルとしてはいいのかもしれません。

 

4 自分のハマれるものをやる

何かに集中していると他のことがどうでもよくなります。僕はWikipediaで情報をあさっているときや好きな漫画を読んでいるときは周りのことや自分のことがどうでもよくなって、無駄なことを一切考えなくなります。

また、一つのことにハマると自分で虚勢を張ったり、意識していないのに自分の得意分野になり、自分の自信になるものの一つになっていたりします。

これも探すのが難しいのですが、これも最初のハードルの問題だと思っているのでひたすらハードルを下げて、いきなりハマろうと思わずにちょっとやってみるかとか、思い切って手を出して適当にやってみるかぐらいから始めてみるといいかもしれません。

 

まとめ

本音とは、自分の心と表現が一致したこと

自分をさらけ出せないと自分は不幸だし、他人にも不誠実

自分をさらけ出せない不安はプライドのせい

プライドを捨てるには、自分を好きになること。そのためにはハードルをひたすら下げる